闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

平城京跡に行きました

2012年06月02日 18時34分35秒 | Weblog
今日は、奈良の平城京大極殿まで行ってきました。
うちの家からだと、オートバイで1時間半ほどの距離、
そんなに遠くないし、ちょっとオートバイを走らせるのによい距離です。
自動車もそんなに多くなく、渋滞にはまる事ないくスムーズに行けました。

とりあえず城宮跡博物館の駐車場(無料)にオートバイを止め
第一次大極殿正殿(建物が復元された)に向かいました。
駐車場から第一次大極殿正殿までは、5分ほどの道のりですが
その途中は長閑でしたね、周囲を夏草が生い茂り、鳥たちの鳴き声が
沢山聞こえます、夏草の上にシートを敷いて座っている親子もいました。

第一次大極殿正殿を取り囲む塀のところまで進むと
大きな第一次大極殿正殿の建物とその前に広がる広大な土地、
古の昔、このあたりの様々な建築物があった頃を想像してみました。
もし私が当時の官吏だったら、こんな長い距離を毎日歩くのは
少々嫌だなぁ~ってくらい広い土地です。
でも今は長閑な雰囲気ですが、かつてはこの辺りでも歴史に名を残す人たちが
権力闘争を行い、殺しあった場所でもありますから、気持ちは複雑です。

ともあれまずは第一次大極殿正殿の正面から写真を数枚。
気がつけば、観光客も殆どいない!というか第一次大極殿正殿のある
外柵に囲まれた中にいるのは私一人!
第一次大極殿正殿内部に2・3人観光客が見られる程度で
なんとも寂しいじゃありませんか。

で、順路の看板に従って第一次大極殿正殿の中へ。
そばに近づくと木の香りがほんのりして、何かとても懐かしい香り。
中に入ると、県の職員の人らしき人が「いらっしゃいませ」と
言ってくれたのですが、その声が静かな内部に響いて物悲しいですね。
もっと家族連れや子供たちの声が聞こえるほど、観光客が多いのかと
思っていただけに、余計物悲しい。

その昔、松尾芭蕉が奥州平泉で「夏草や兵どものが夢の跡」と詠みましたが
ここでも同じような感じ「夏草や防人どもが夢の跡」というところです。
内部は、高い天井で小型の体育館くらいの空間。
中央にかつてのスメラミコトが鎮座された場所がありました。

ふと外の方を見ると、警備員が3人。 体操している警備や携帯メールを
打っている警備員、あくびをしている警備員と、全く緊張感なし。
それほど訪れる観光客が少ないのでしょう。
内部で数枚写真を撮り、外にでました。そこでもすれ違ったのは2人だけ。
まぁゆっくり見学できたという事で、それはそれで有難いのですが、
せっかく巨費を投じて建設したのに、もったいない気がしますね。

第一次大極殿正殿から大極殿正跡に行きました。
多分、このあたりで、平城京に遷都した元明天皇が見たと思われる光景を
朝堂院跡に立って見てみました。当時はもっと多くの建物があって
民衆も商人も沢山いたでしょう、その頃の事を想像してみました。

朝堂院跡からの駐車場へ戻る途中、官吏が仕事を行っていた復元建屋を見学
今の霞が関の贅沢な役人の仕事場と違い、とーっても質素。
夏は暑く、冬はさぞかし寒かったものと想像できます。

官吏が仕事を行っていた建屋の前に、なにやら礎石らしきものが
整然と並んでいたのでよく見ると、どの礎石も真っ黒!
多分、焼失した際、この礎石が熱で焼かれて黒く変色したものと思われます
その礎石の1つに触れてた時、古の官吏も私が触れた礎石に触れていたかも
しれないと思ったら、私自身、一瞬当時の官吏になったような気がしました。

もっと大々的に宣伝して、いろいろなイベントを行い、
周りにもっと多くのお店を招致したら、もっと観光客も増えるのにね。
ちょっと寂しい気がしつつ、それでいて長閑な気持ちよさを感じつつ
岐路につきました。帰り道も交通の流れはスムーズで良かったです。


今日目に付いた記事:
 ・大飯再稼働でも計画停電準備 4電力管内で、政権方針
  原発動かすんだから、絶対節電に協力してやらないからな!!

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 次は明日香へ行きたい