闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

鳴かぬなら鳴くのを探そう不如帰

2009年11月21日 11時57分52秒 | Weblog
一昨日、東京出張した時、夕食をご一緒させてもらった以前の会社の同僚にも
うちの会社の製品のプレゼン資料を見てもらいました。
今日、そのご意見を頂戴したのですが、鋭い指摘ばかりでハタと目が覚めます。
友人だからこそできる鋭い指摘は、とっても嬉しいですな、
他人行儀で表面的な美辞麗句では、私のタメにはなりませんからね。
そういう友人というのは、とっても大切にしたいです。

以前にもこのブログで書きましたが、私の場合、友人や知人をはじめ
仕事のパートナーなどには本当に恵まれていると思いますねー、
上でも書いたように、率直な意見をくれる友人やいろいろ有益な情報をくれる友人
私の考え方を理解して大いに協力していただいているお取引先、
うちの会社の事情をして、優先的に仕事を出してくれるお取引先など
本当に有難く、感謝という言葉だけでは表しきれないモノがあります。


さてさて、今日は昨日からのアレルギー疾患の症状が酷いので外出できません、
もちろんジョギングも×、せっかく良い天気になったのになぁ~。
まぁそれも何かの啓示、ですので、家でおとなしくしています。
大人しくしているといっても、昼寝しているかテレビを見ているか
録画した番組の動画を見ていますけどね

前回の歴史秘話ヒストリア「いつも崖っぷちだった
~独眼竜・伊達政宗の世渡り人生~)」などは、今、私が置かれている立場で
少しヒントになるような事もありますな。

そうそうその伊達政宗の「伊達」、今では「だて」と呼んでいますが
江戸時代末期くらいまでは「いだち」または「いだて」と読んでいたようです。
明治以降になってから、「い」が取れて「だて」になったのだとか。
(「いだて」→「だて」)面白いですな。

ちょっと話が逸れましたが、しかし私としては、歴史上の人物で
最も参考になるのは、やはりなんといっても「徳川家康」。
三河の弱小勢力であって、三方原の戦いで武田軍にボロ負けした時には
脱糞して、かつ、しかめっ面した、有名な肖像画が残っていますよね。
この時、頭領としての自分自身の情けなさを痛感したでしょう、
しかしそれが原動力の一つとなり、後の天下取りにつながったのでしょう。

幼少の頃の今川の人質、武田軍との戦いでの連戦連敗、信長臣下としては
内通の嫌疑から正室と長男を失い、豊臣秀吉には臣下の礼をとらされた上
関東移封と、完全に秀吉にしてやられました。
でも最終的に力を蓄え、長生きして天下人になった家康の一生は
本当に魅力がありますな。

晩年には、タヌキと称される戦略に優れているかのように言われていますが
秀吉死去まで、彼の戦略はパッとせず、むしろ暗中模索の日々だったように
お見受けしますけどね、あまり生き方が上手いとは言えないようです
そのあたりも、逆に共感を覚えますよ。
その紆余曲折の人生があったから、後の徳川の世につながる確固たる礎を
構築する事ができたのだと思います。

「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」ね。

私なら「鳴かぬなら鳴くのを探そう不如帰」ですな


今日目に付いた記事:
 ・紅葉鮮やか 京滋名所にぎわう 3連休スタート
  京都の紅葉はどうなんでしょうね、嵐山はあまり紅葉してないような・・・

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 ズキズキと痛い