なんとなく亡母のことを思い出す。
このブログの2013年の6月、7月あたりを読むと悲しい気持ちになる。
日々の忙しさに紛れているうちに母のことは完全に思い出になっている。
しかし、お彼岸だとかお盆だとか、死者を弔う、そういう時期になるとなんとなくリアルにいろいろな場面が思い出されるものである。
いつもお裁縫などやらないのだが、先日裁縫箱を出してきて、繕い物をやった。
母の字で、これは白い糸、と書いてある袋がでてきた。
今でも母が生きていて、私のところに電話をかけてくるのではないかと錯覚するほど身近に感じられた。
今はもういない母。でも、お裁縫箱だとか、ちょっとした料理の味付けとか、思い出す瞬間がある。
亡くなっても、心の中に生きているっていうのは本当なんだね。
懸命に子育てをやることしか道がなかった、という言う時代の女の一生。
母に手を引かれピアノのレッスンに行ったなあ。
兄が今でも私の部屋に置いてあるレッスンカバンをいつまでも生前、母が懐かしがっていたといっていた。
このかばんをもっていつもお稽古につれていったことを懐かしそうに話していたと。
赤いかばん。小さな女の子の絵が5人ぐらい描いてあって、それを見ると、母と一緒に暑い日に日傘をさしてピアノのレッスンに行ったことを思い出す。
母はノースリーブのスーツ。若かったのだ。あの頃は、今の私よりはるかに若かった母。
先生のお宅のお庭の池や枝ぶりのよい松のことも思い出す。
小さなころは、いつになったら大きくなって親の監督から解放されるのか、そればかりを考えていた。
今では、その親も亡く、あの拘束もまた懐かしいものである。
人の一生とはなんと短いものであろうか。
渦中にあるときは、懸命にあがいているが、気が付けば最期がみえる。恋に身をやつすのも短い期間である。
はかない人の一生。
悲しいことばかりでもないけれど、楽しいことばかりでもない。
これから、人生はさらに下り坂である。
日本も下り坂なのかもしれない。
仮に経済成長したとしても、私の人生は下り坂であることに違いはない。
人生のはかなさばかりが身に沁みる今日この頃なのである。
このブログの2013年の6月、7月あたりを読むと悲しい気持ちになる。
日々の忙しさに紛れているうちに母のことは完全に思い出になっている。
しかし、お彼岸だとかお盆だとか、死者を弔う、そういう時期になるとなんとなくリアルにいろいろな場面が思い出されるものである。
いつもお裁縫などやらないのだが、先日裁縫箱を出してきて、繕い物をやった。
母の字で、これは白い糸、と書いてある袋がでてきた。
今でも母が生きていて、私のところに電話をかけてくるのではないかと錯覚するほど身近に感じられた。
今はもういない母。でも、お裁縫箱だとか、ちょっとした料理の味付けとか、思い出す瞬間がある。
亡くなっても、心の中に生きているっていうのは本当なんだね。
懸命に子育てをやることしか道がなかった、という言う時代の女の一生。
母に手を引かれピアノのレッスンに行ったなあ。
兄が今でも私の部屋に置いてあるレッスンカバンをいつまでも生前、母が懐かしがっていたといっていた。
このかばんをもっていつもお稽古につれていったことを懐かしそうに話していたと。
赤いかばん。小さな女の子の絵が5人ぐらい描いてあって、それを見ると、母と一緒に暑い日に日傘をさしてピアノのレッスンに行ったことを思い出す。
母はノースリーブのスーツ。若かったのだ。あの頃は、今の私よりはるかに若かった母。
先生のお宅のお庭の池や枝ぶりのよい松のことも思い出す。
小さなころは、いつになったら大きくなって親の監督から解放されるのか、そればかりを考えていた。
今では、その親も亡く、あの拘束もまた懐かしいものである。
人の一生とはなんと短いものであろうか。
渦中にあるときは、懸命にあがいているが、気が付けば最期がみえる。恋に身をやつすのも短い期間である。
はかない人の一生。
悲しいことばかりでもないけれど、楽しいことばかりでもない。
これから、人生はさらに下り坂である。
日本も下り坂なのかもしれない。
仮に経済成長したとしても、私の人生は下り坂であることに違いはない。
人生のはかなさばかりが身に沁みる今日この頃なのである。