3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

第九特集

2017-12-19 11:44:43 | 音楽ノート
12月に入りクラシカジャパンは第九特集である。
日本人は第九が好きで、12月ともなるとどこもかしこも第九をやるので何回聞いたかわからない。

クラシカジャパンのHPで第九について書いてある。
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ゲヴァントハウス管が大晦日に『第九』を演奏する伝統は、第一次世界大戦終結の1918年大晦日に、当時のカペルマイスター、アルトゥール・ニキシュが平和と自由への願いを込めて演奏したのが最初と言われている。人類愛を歌う第4楽章「歓喜の歌」の原詩はドイツの詩人シラーがライプツィヒ滞在中に創作したものでもあり、「年末の第九」はゲヴァントハウス管の伝統となり、その後日本でも年末の風物詩となった。

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ほう、そうだったんだね。
ライプツィヒは素敵な街である。シューマンも住んでいたことがある。
トーマス教会の裏にはバッハの銅像があるし。

2015年12月31日ゲヴァントハウス(ライプツィヒ) ブロムシュテットの第九、
第4楽章がおわって、しばらく沈黙が続き、指揮者の腕が下りて、万雷の拍手・・・という感動的なシーン。
1927年生まれのブロムシュテット、88歳で第九をふるとはなんという体力。芸術のなせる業なのだろうか。
ゲバントハウスのコンサートホール、第九の伝統が生きている。ソプラノ:シモーナ・シャトゥロヴァ、メゾは藤村美穂子
厳かで深い第九。

そのあと、ブロムシュテットは2016年12月23日、N響創立90周年記念で第九を振っている。89歳になっている。この時もソプラノは
シモーナ・シャトゥロヴァで同じである。


2017年9月30日ベーベルプラッツ(ベルリン)「ベルリン州立歌劇場再開記念演奏会~みんなのためのシュターツオーパー~」
バレンボイムの第九はベルリンの野外コンサート。大通りウンター・デン・リンデンを通行止めにし、会場のベーベルプラッツはすし詰め状態。ベーベルプラッツはベルリン州立歌劇場脇にあって、アドルフ・ヒトラーがユダヤ系作家の本を集めて燃やした場所として知られている。そう、そこで第九をやるというのに意味がある。分断の時代に我々はもう一度ヒトラーを思い起こすべきなのだ。分断排除が人生を破壊し、無意味であることを肝に銘じなければならない。平和と統合の第九なのである。
楽章の間に拍手がはいるのが、少し笑える。第4楽章の間にも、もう終わったのかと勘違いした観客が拍手を・・・、無料だから必ずしも第九に精通している人ばかりじゃないんだよね。でも、それでも野外で、ベーベルプラッツでやることの意義を強く打ち出したかった、そういう主催者の気持ちが伝わって、気持ちがよい第九だ。空には雲一つない良い天気で、みんなのためのオーケストラというメッセージを伝えるのに十分な舞台である。
第九は12月ではなく、9月末にというのもなんかわかる。1989年の8月にピクニック計画があり、11月にベルリンの壁が崩壊するのだから、この時期に第九をやってヨーロッパの統合、平和を願う。そいう意図があるのだろうね。

第九は第九だが、第九だけにとどまらない。
分断の時代に第九を歌うこと、クラシックとしてだけでない意味をかみしめたいと思うのである。
バリトンの出だしはどうか、とか、ソプラノソロの高音はどうか、フーガのところの合唱はどうか、などといろいろ突っ込みどころは多いけれど、統合と平和という軸で聞くと新しい世界が見えてくるかもしれないよね。







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