3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

生活保護基準の引き下げについて―生活保護研究者の力量を問う

2012-06-02 14:44:18 | 現代社会論
芸能人の生活保護不正受給の話しが大きくなって、保護基準を下げるという話しに発展している。
それについて、日本女子大の岩田正美さんは、次のように述べている。

生活保護総額の増大は、貧困の増大を背景としています。貧困を減少させないと、生活保護水準を下げても問題は解決しません。とくに強調したいのは、生活保護基準を下げると、最低賃金の基準も下がってしまうことです」(岩田氏)


うーむ、たしかにそうだ。これは正論だ。しかしだ。最低賃金の基準が下がってしまうといっても、最低賃金そのものが崩壊している現状で、だからこそ、生保受給者が増えているわけだろう、それを盾に保護費をキープしようと思ってもリアリティがないのではないかと思う。

最低賃金など守られておらず、不正受給で財源は枯渇、本来必要な人には支給されず餓死寸前。こういう状況について、日本の生活保護研究者は一体なにをこれまで研究してきたのかと思う。形式だけのそして旧態依然として議論を続けてきたのではないか。もしかして今だにマルクス経済学かなんかをやっているんじゃあるまい。

そもそも生活保護制度については、暴力団などもからみ手を付けれらない状態がずっと続いてきた。職員の非専門性、公務員削減の煽りをうけ人手不足、市民のモラルの低下、家族関係の崩壊、そして、新しい貧困の台頭。
日本の生活保護の研究者は一体何をやっているのだ。いらだちを覚えるなあ。

保護基準を下げるのは慎重にすべきかもしれない。しかし、今の制度のままでは制度疲労で無理なのだ。国民年金も給食費も払わず、不正受給も平気な顔でやってしまうような人々がはびこっているのだ。そういうことができないようないく重にもかさねた防衛策を講じた制度構築が必要だ。慈善ではなく、合理的な社会システムとして生活保護制度は再構築する必要があるのだ。


保護基準をさげずに、多くの人に支給できるようにする手はないのか。やはり資産調査の徹底が必要だろう。あまり厳しくすると本来の生保の意味がなくなってしまうが、ある程度の厳しさは必要なのではないかと思う。
でないと世の中みな厳しい経済でやっているので、保護を受けたひととうけない人の生活の差があまりにでるようでは、一般の人は納得いかず、不満が蓄積し、いつか爆発するだろう。

広く薄くがよいのだ。
選別を厳しくするというのではなく、広く受給しやすくし、しかし、資産調査は厳しくということだ。

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