3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

トト姉ちゃん 星野とはどうなるのか

2016-09-07 19:08:27 | 日記
朝ドラの話。
あさが来たをみていたが、トト姉ちゃんもみている。

星野と再会していい感じになっているが、星野が名古屋に異動することになって・・・。

宇多田ヒカルの歌って、なぜか物悲しく、この恋の末路は寂しいのではないかと思えてくる。

星野も星野で転勤してそれで終わりになっちゃっていいのか?
お前!

永遠にこの二人は結ばれることのない運命なのか。

青春の思い出として一度封印したが、再会してしまった。
星野は結婚していた。子供もいた。

それでも、いい感じになって、結婚するのかといえばしない。
仕事をとる常子なのか。

結婚だけが人生じゃないといいたいのだろうか。
しかし、やるせないのである。

見ているほうはなんとか常子に最初で最後の恋を成就させてやりたいという衝動に駆られる。

仕事に生きる女性、恋してもいいじゃないかというのは、昭和の終わりのころの話で、
昭和30年代40年代では、仕事は仕事。家庭は家庭という思想があったから、両立なんていう発想はなかった。そういう時代に苦悩する独身の仕事をする女性の生きる姿に胸が苦しいのは私だけか。

もどかしいのだが、結局、二人は永遠にわかれるのだろうね。
せいぜい年賀状のやり取りぐらいの関係、名古屋出張の折に会う程度か。

子どもが成長して、60歳過ぎて、あなたの暮らし出版も誰かに譲ったその時に星野と一緒になるっていうのもあるが、それじゃあつまらない。
女が廃るというもの。今じゃなければだめな男と女の関係もあるって。

ああ、切ないなあ。

こんなところで私がいろいろいっても常子の人生は変わらないのだろうが、星野もうじうじしていて、嫌になるのである。

今では女性活躍社会とかいっているが、一昔前は、仕事か結婚か、仕事か子どもかという二者選択に苦悩していた女性たち。
独身でいくか、結婚したとしても子どもはあきらめるか、そういう選択の苦悩がふつうにあったのだ。
今みたいに、仕事も結婚も子どもも当たり前になったのは、常子のような女性たちの苦悩があったからと思う。

それを忘れてはいけないのだよね。

それにしても、家のことは一切妻にまかせ、勝手気ままに仕事に全力投球している花山はうらやましいというか、恨めしい。
男って、妻に全部やらせて、女はそんな男と横一線で戦わなければならず、それは大変なことなのである。
そういう中で戦ってきた先輩たちにこそ「花束をささげたい」のである。




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