3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

2018.7.29 バルコニー便り 草花が疲れているようである

2018-07-29 17:33:56 | 日記
昨日からは台風の強風で、椿の一つが倒れてしまった。大変だ!すぐ起こしてやらねば。

その前の酷暑のなかで、草花は熱にやられて、枯れたり、つぼみをつけなかったりしている。
それは草花の自己防衛の姿なのか。
なるべく、涼しいところに鉢を移したりしている。

冬の間は夏の光が待ち遠しかったのだが、こう連日暑いと冬のあの弱い光のほうがましと思ってしまう。

トンボがとまっている。今年の百日紅はまだ花をつけない。もう今年は花を咲かせないのかもしれないとおもって、あきらめている。

今は、小さなほうの百日紅が咲いているだけで、後は、自然に生えてきた山葡萄?がなんだか知らないが元気に実をつけている。

今の家に移ってきたのは、2014年のGWだった。
そのときは広々としてバルコニーをどのような草花で彩るか、それほど確固たるプランがあったわけではないが、なんとなく近くにおきたいと思う草花を取り入れ、毎日のように水やりをしてきた。淡々と。

それから、丸4年、5年目ともなると庭に草花たちはよく根付き、リビングからの景色も目になじんでいる。枯れてしまったものもあるし、購入したときは大輪の花をつけていたのに、その後、小さくなってしまったものなどいろいろである。

紫陽花と椿、桔梗、これらは期待通りに毎年美しく花を咲かせてくれる。
シマトネリコは常に青々として特に夏場には木陰をつくってくれて本当にありがたい。
楓も夏のその美しい青は涼しげで、秋の紅葉が楽しみである。

ゼラニウムやミニバラ、ジャスミンなども期待にそって咲いてくれている。

5年の月日は私に年をとらせたのだけれど、草花にとってはこのバルコニーに根付くために必要な年月だったのだなあ。
と思うと5年の歳月は無駄ではなかったのだと思う。

仕事の上で、どのような業績を上げたのか、忙しく働いたことは確かである。
忙しい生活のなかで、草花を愛でながら、なんとか乗り切ってきたように思う。

追い立てられる生活の中で、なんとか乗り切れたのは、私のバルコニーがあったからなのかもしれないと少し思う。

草花はいつもそこにいてくれて、水を怠ればたちまち枯れてしまうものもいるけれど、それでも、水をやれば、生き返って、笑っているように見える。
朝早くから家族は仕事にでてしまって、それ以降、だれとも話さない日がたまにあるけれど、草花を見ていると時を忘れてしまうので、特段の孤独感などを感じることがないのが不思議である。

小鳥も来るし、彼らがそこいらの虫をちょこちょこ食べているのをみるとなんだか笑いがこみ上げてきたりする。小鳥のさえずりを聞いて、あの鳥はなんていう名前なのだろうと調べているうちに時間が過ぎていたりする。

忙しい仕事の合間のわずかの時間だが、知らないうちに安らいでいる。ありがたいことである。




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