3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

生産性が高いとか低いとか バカな発言が多すぎる

2018-07-29 17:02:15 | 現代社会論
変な国会議員(こんなのが議員だなんて)がLGBTの人は子どもをつくらないから生産性が低いとかいったそうで、これは人権侵害だということで反発が起きている。

議員のクセにこういう発言をしてしまうのは、わかっているからの発言であり、この手の発言がある種の人たちから支持されることを知ってのことだと思うので、その手に乗らないのが一番だが、それにしても、こういう発言をしても議員辞職に追い込めぬ今の政治情勢はいったいどうなのかと思うのである。

べつにLGBTに限ったことではなく、本当に言ってはいけないことを言っちまって何かいわれてもほっておく、ほっかむりしてその場のやり過ごすというやり方、アベシンゾウのやり方だが、それが、常習化していることに非常に強い危機感を持つのである。
つまり、言ってはいけないことというのがあり、それは紳士淑女協定というか、そんなこといったら、傷つく人がいるということを知っていればいってはいけないことはわかっているはずだが、あえて、それを言って、差別や偏見を助長するというやり方は本当にいやな感じである。

たとえば女性蔑視発言をしてはいけないということがわかっていたら、普通は言わないだろうが、それをあえて言って、開き直る、といういうスタイルが国会議員のなかで蔓延しているように思う。

企業人はやらないと思う。一流であればあるほど。そんな発言をしたら、世界から叩かれるということを知っているから。
世界を相手にしている企業であれば、やってはいけないこと、いってはいけないこと、企業のイメージをダウンさせることは避けるのが一流でなくてもわかっていることであるからやらない。

が、政治の世界は、世界を相手にしていないので、放言がゆるされてしまうという問題がある。
世界を相手にしていなくて、地元の保守的なおじさんやおばさんを相手にしていると地元受けをする発言をしてOKになっているのだろう。
しかし、世界はそれを笑っているはずである。日本の国会議員はひどい差別的発言をしているが、それで辞任するわけでもなく、日本というのは、本当に人権に対してゆるい国で、バカじゃないかと思われていると思うのだが、そんなことはどこ吹く風で地元受けすりゃあ、いいんだという、選挙に勝てばよいという田舎もの根性というのが許せない。

こんなところで、怒ってみても日本はよくならないが、もう、自民党には投票しないとか、そういくキャンペーンを張るとか、地味でも、しないと気がすまない。
こんな日本に誰がしたと後で嘆かないために、とにかく、あらゆる選挙で自民党に大勝させないことだよ。それが未来のために必要なことだと思うのである。自民党を多数はにしておいてはならない。とんでもないやつが多すぎるし、そういうやからを野放しにしておくから問題なのである。親玉がアベシンゾウだと思うが。

人生は100年である。いつも生産性が高い時ばかりでなく、生産性が高い時期など、せいぜい30年ぐらいにすぎない。少し生産性が高い時期があってそのおつりでほかの人生を生きながらえるというのが本当である。子どものときは生産性は低いのが当たり前だし、大人でも病気になれば下がるし、認知症や寝たきりになれば生産性は下がる、しかし、そういう人でも若いときは生産性が高かったわけで人生差し引きゼロというのが本当である。
それに目先の生産性など問題ではなく、人生は生産性だけでやっているわけではなく、幸福かどうかという尺度ではかれば、生産性などほんの一部でしかないことがわかるのである。生産性だけに興味のある人は仮に自分が病気になったらどうなのだろうか。私は病気になり生産性が低いので自殺しますとでもいうのだろうか。例の議員が病気になったとき、70歳になったとき、生産性が低くなったときの顔が見たいものである。まだまだ、そういう気配はないかもしれないが、そういう日は必ずくるわけで、今はえらそうに生産性がどうのといっているが、必ず生産性が低くなる日はやってくるのであり、かつての発言がばかばかしい内容だったということ、恥ずかしく思う日が来るだろうと思うのである。
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