ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



 
菊地治療所。神奈川県足柄下郡箱根町湯本。1991(平成3)年8月23日

通りは国道1号で、写真右に当ブログ前回のた一堂みやげ店が写っている。た一堂の洋風に造った部分の横は1間ほどの幅しかない。「針・灸/菊地診療所」の看板が出ている建物は、商店だったのかもしれないが、どうも旅館だったのではないかと思われる。
現在、セブンイレブンが建っている場所で、この辺りにコンビニが1軒あると便利である。繁盛しているに違いない。



藤屋民芸店。2006(平成18)年5月20日

国道1号線の沿道の商店街も箱根湯本駅に近いほうでは、商店の多くはビル化されている。そんな中で藤屋民芸店が昔の建物のままでみやげ店を続けている。写真のような日本家屋の店舗は他にもあるのかもしれないが見当たらない。正面が改装されていて気がつかないのかもしれない。この店も1階はかなり改装されているようだが、資料的価値がある建物だ。
店の前のアーケードは毎日新聞販売所のところのものと屋根は同じだが、支柱と梁が異なる。店個々で店の前の割り当て部分を独自に造っているのか、あるいは造られた時代が異なるのだろうか?

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毎日新聞販売所。神奈川県足柄下郡箱根町湯本。1991(平成3)年8月23日

国道1号線の湯本商店街の中ほど。写真中央の洋風看板建築の店が毎日新聞箱根湯本販売所。戦前の建築だとするとかなりいい保存状態だが、あるいは戦後の造作かもしれない。歩道に屋根が架かっている。これは今もそのままだ。
写真左の看板建築は、下の写真の看板を「箱根みやげ た一堂」と読んだ。すでに廃業した様子だ。この家の前にも新聞販売所と同じ造りの歩道の屋根がある。昔はアーケードとして続いていたのだろう。ただしこちらの屋根の材料は波板だ。
た一堂は現在では駐車場で、古いタイプのアーケードは新聞販売所のところだけになってしまったようだ。


 
た一堂。1991(平成3)年8月23日

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ほがらか。神奈川県足柄下郡箱根町湯本。1991(平成3)年8月23日

3枚の写真とも、箱根湯本駅から西へいって国道1号へ出る、国道1号の裏通り。飲食店が散在するが、裏通りらしくわびしい感じで、国道の商店街のようには観光客は歩いていない。興味を引く建物もなくて、明らかに戦前の建築と見て取れる建物も見当たらない。
上の写真は裏通りの真ん中辺りで、和風スナック「ほがらか」は現在の地図にも出てくる。下の写真は駅からさらに西へ行ったところだと思う。撮影時から20年たって、建て替えられた建物もあるに違いないが確認はしていない。

 
スナックグッピー。1991(平成3)年8月23日


せんふく
1991(平成3)年8月23日

せんふくはネットの情報によると、夜にしか営業しないラーメン屋。看板に「パチンコ」「遊技場」の文字が残っていて、以前はパチンコ屋だったと判る。失礼かもしれないが、裏通りにぴったり来る風情である。
温泉街には遊技場はつきものだったが、最近は団体客が減ったからそういうところに遊びに来る客もいなくなってしまった。研修なんかの団体では夜は外に出て遊ぶどころではないだろう。

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小田原日交株式会社。神奈川県足柄下郡箱根町湯本。1991(平成3)年8月23日

箱根湯本の商店街にある、タクシー会社の湯本出張所。日本交通のグループ会社である。ネットで出る「日本交通小田原湯本出張所」と住所が同じだから、同じ建物で営業しているのか、社名を変えたのか? たぶん、小田原日交が日本交通の名前で入ってくる仕事もやっているということではないかと思うが、利用客にすればどうでもいいことだ。
洋風の建物のタクシー会社という関連で、熱海の熱海第一交通というタクシー会社に連想がいく。その建物も2階にアーチ窓が並ぶ洋風看板建築だ。小田原日交の建物は元からタクシー会社が建てたものなのかもしれない、とも思えてくる。
写真左には家が建っているようだが、今は駐車場。写真右は中村家というすし店。現在、建物は建て替わった。入りやすくなったかもしれない。

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左:旭町自主防災倉庫。神奈川県足柄下郡箱根町湯本。1991(平成3)年8月23日
右:上:美容室ヒロ。2006(平成18)年5月20日

箱根湯本駅から西へ、土産店や飲食店を中心にした商店街が続く。写真の建物はその商店街のはずれで、3軒の洋風の正面を見せた家が並んでいる。3階建て、モルタル地肌の家は旭町自治会の「旭町自主防災倉庫」で、現在はシャッターにその表示がある。旭町とはこの辺りの地名で、字(あざ)とか小字に当たるものかと思う。国道1号に昭和8年に架けられた旭橋がすぐそばにある。
上右写真は防災倉庫の右にある建物で、建物の左は「美容室ヒロ」、右側はおみやげの「高助」。高助は営業しているようには見えない。



山の写真家。1991(平成3)年8月23日

建物の左側は店名は分からないがそば屋、右側は「山の写真家」の看板が見える。フイルムの看板も置いてあるのでたぶん写真館だろう。現在では左側は住宅として改装され、右の店は飲食店になったようだ。

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ちもと。神奈川県足柄下郡箱根町湯本。2006(平成18)年5月20日

箱根湯本の国道1号線沿いに昔のままの建物がいくつか残っていて、昭和初期の温泉街を見る感じがして懐かしい気分になる。ぼくが昭和27年、小学校の遠足で来たときも、それ以前の祖父の強羅の別荘に行ったときも、それらの建物があったに違いなく、個々の建物を憶えているわけではないのに「まだ残っているのか!」となんとなくシミジミとしてしまう。
湯本橋のほうへ入る交差点付近には洋風看板建築が数軒残っている。写真の「ちもと」はその交差点の角にある。道なりに正面がカーブしている。HPを見ると、昭和25年創業の和菓子の製造販売の店である。この建物に販売所を置いたのはいつからだろう。昔の店舗は湯本橋と弥栄橋を渡った滝通りに製造所として残っている。
写真では建物の右側は「箱根登山鉄道総合案内所」だが、現在は「茶のちもと」という日本茶と和菓子の喫茶店になった。それにあわせてだと思うが、壁も塗りなおされている。



日産レンタカー箱根湯本店。ちもとから滝通りへの道路を隔てた並び。
箱根町湯本。2011(平成23)年8月8日

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田上木芸所。文京区根津2-33。1990(平成2)年5月6日

写真は藍染大通りの なかよし文庫があった長屋で、その裏側を見ている。角は雪印牛乳根津販売所。この頃はまだ瓦屋根だ。写真右の平屋の小屋の柱の表札は、「挽物・糸鋸 田上木芸所」ではないかと思う。ネット検索すると「田上挽物糸鋸木工所」で出る。たぶんその工房なのだと思う。
『東京いま・むかし』(桐谷逸夫・桐谷エリザベス著、日貿出版社、平成8年)に内部を描いたペン画と「生地師父子」という文が載っている。それによると、仕事場は4坪ほどで、絵を見ても分かるが、轆轤や旋盤の機械と作業台で占められ、壁と棚に道具がぎっしりと並んでいる。棗、椀、茶托などを作る。「生地師父子」とは田上勝彦氏と故助四郎氏。助四郎氏は明治29年生まれ、15歳で茨城から上京して生地師の仕事に就いたという。独立するまでは寝る間もなく働いたようで、昔の人はほんとうにすごい。


2007(平成19)年12月15日

作業場の右(手前)の家が田上木芸所の住居。今はなかよし文庫の長屋はマンションに替わり、木芸所の建物もそのマンションに取り込まれた。作業場は住居のほうに移したかと思う。


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