ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




築地市場。中央区築地4-9。2011(平成23)年11月7日

今回は古い写真がないので、ついこの間撮ってきた写真でお茶を濁す。上の写真は築地場外市場の新大橋通りのすぐ裏。最近は「築地西通り」という名前がついたようだ。築地市場の建物は平屋のようである。その右にあるコンクリートの塀の中は築地場外にある圓正寺の墓地。その先の3階建ての建物は「理容内田」となっていた建物だが、窓は塞がれ、3階のトタンの壁は錆びついたままだ。空き家になっているのだと思う。


江戸屋海産第三売場
築地4-9
2011(平成23)年11月7日

1枚目の写真で右端の黄色い幟を出している店で、中川屋と同じ四つ角にある。主に昆布や煮干などを扱っている。店のHPを見ると「ワニ・トラ・白熊などの剥製や、他店ではない毛皮が所狭しとならび」とある。キリンの看板はそれを表しているのだろう。店の角に見えるのが剥製らしい。売れるのだろうか?

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中川屋。中央区築地4-8。左:1986(昭和61)年6月、右:1987(昭和62)年9月15日

築地市場の場外、築地四丁目交差点(晴海通りと新大橋通りとの交差点)のすぐ裏である。角の家が中川屋という漬物の専門店。3階の丸窓が特徴の看板建築だ。窓ではなくて壁の飾りなのかもしれない。場外でも看板建築は見受けられるが、全体に、そう凝った造りの建物はあまりない。この中川屋の建物も、簡素なのだが、丸窓のせいでわりと目を引く。
1986年の住宅地図では、左写真で、角から右へ、「中川屋、正木、京食、大津水産、富士市場、銀食第一市場」。右写真の路地の側では、「明治牛乳店、三宅水産」。場外には、地図に「○○市場」という記載の建物が多い。幾つもの店が入った建物を指している。
場外では現在も昭和末にあった建物はそのまま使われている場合が多い。築地市場が移転するという話が出ては、建替えはしないだろう。しかし、中川屋は建て替わっている。ただし2階建てだ。左写真で、中川屋の先はビルに替わった。

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松山自転車店。中央区湊3-8。1987(昭和62)年頃

現在、湊3-8には2007年2月に竣工した「リエトコート アルクスタワー」という27階建ての高層マンションが1棟建っているだけである。ビルは敷地の中央に建っていて周囲は広場のようになっている。写真の家並みは今ではビルの北側の広場である。
写っている家並みは1986年の住宅地図では、右から、みのや呉服店(取り壊されている)、松山自転車店、銅商印刷、稲岡木型(路地)中央燃料ファーム、三洋印刷。


テーラー安田。湊3-8
1987(昭和62)年4月29日

1枚目の写真の右端の空き地が路地との角で、その路地を入ったところ。この家は戦前の火保図に「安田」となっているので、建ったときからテーラーだったのかもしれない。家の前を奥へいくと、撮影時には右側に 藤の湯があった。

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テイタン横浜支店。神奈川県横浜市中区港町4-16。1988(昭和63)年8月6日

JR関内駅のすぐ北で、馬車道通りから関内駅北口交差点のほうを見た写真。写真中央の古いビルは建て替わったが、写真左の木下商事ビル、右奥のキリン関内ビル、その後ろの横浜センタービル、古いビルの後ろの木造らしい商店などの周囲に写っている建物は驚くほど変わっていない。
古くて小さいビルの名称は分からない。ビル上部に「テイタン横浜」「帝国秘密探偵社」の字が書いてあるので「テイタン横浜支店」としておいた。帝国秘密探偵社、略してテイタン……略称ではなくちゃんとした商号だ。犯罪がらみの事件の捜査でもやりそうだが、やはり素行調査・信用調査などを行う一般に興信所といわれる会社で、歴史もあるそうである。
建て替わった現在のビルは「馬車道徳永ビル」で1997年の竣工、10階建てである。『日本近代建築総覧』には「徳永ビル、中区真砂町4-46(中区港町4-17)、建築年=昭和5年頃、構造=RC4、設計=堀越建築事務所」というのがある。住所が異なるので、これが写真のビルとも思えないが、一応記しておく。

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