ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





藤の湯。中央区湊3-1
上:1984(昭和59)年頃
左:1987(昭和62)年4月29日

湊1丁目と湊2丁目を分ける東西の通りから横丁を南に入ったところにあった。現在はマンションに替わっている。
左の写真では自転車が何台も置かれていて客も入っていくから、かなり繁昌している銭湯にも見えるが、藤の湯が廃業するので、そのお別れ会が開かれているのである。中から「藤の湯さんは昭和○年に当地に開業いたしまして……」というような挨拶が聞こえた。子供も来ているから菓子の用意もしてあるのだろう。1・2時間して戻ってみると、宴はたけなわらしく、『南国土佐を後にして』の歌が外に漏れてきていた。

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コメント
 
 
 
参考情報です (タテモノスキー)
2010-04-17 13:42:17
 はじめまして。毎度楽しく拝見しております。なつかしい写真のコレクションをいっぱいお持ちで素敵ですね。私は「東武ビルディング」についてずっと情報を探していたのですが、ようやく写真を再度みることができました。ありがとうございました。
 ところで、日本橋本町の杉野ビルが、タバコ屋さんが撤退しており、どうやら動きがあるように思われるのですが、ご存知ですか?
 私が知るところ、あの建物は関東大震災の直後に建てられたもので、非常に頑丈に作られており、一時は2階に小説「大菩薩峠」の作者、中里介山が創設した出版社の「隣人之友社」が入っていたこともあるようです。ぜひ取り上げていただけませんか?
 
 
 
>タテモノスキー様 (流一)
2010-04-21 11:20:37
「東武ビルディング」とは日本橋堀留町にあったビルのようですが、関心を集めるようなビルとも思えず、本当にそのビルかとちょっと不安です。
杉野ビルは昭和通りに向いた古いビルですね。そのビルに関してはなにも知りません。中里介山については映画の『大菩薩峠』を見たくらいで、やはりほとんど知らないのですが、杉野ビルが中里介山と関連があるとすると、ただの古いビルという以上のものになります。それを記事にするにはどの資料から来たものか明記する必要があるのですが、書籍にでも載っているのでしょうか?
 
 
 
お返事 (タテモノスキー)
2010-04-22 07:22:25
流一様

はい、私もグーグル検索で偶然見つけたのですが、玉川神社さんという中里介山の出身地、羽村市羽中の神社ホームページに年譜が載っており、そこに 隣人之友社は日本橋区の杉野ビルに入っていたという記述が見つかります。おそらく間違いないのでは。

東武ビルは解体前、ほとんど廃墟に近い状態だった1993年ごろ、なかなか味のあるデザインだなと思って、毎日見上げて(破片が落ちてこないか心配しつつ)すごしておりました。気にはなっていたのですが、ビル名等はっきりせず、もやもや状態が続いておりましたのが、解消したわけです。
 
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