
学士会館。千代田区神田錦町3-28。1988(昭和63)年11月8日
今はレストラン、ホテルが一般の人が利用できる施設だが、学士会の会員のためのクラブハウスとして建てられた。学士と言っても会員は旧帝国大学を卒業しているか、その教授に限られる。つまり、東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学の7校。
設計はコンペの一等当選案、高橋貞太郎のデザインを佐野利器(としかた)が構造設計してまとめた。コンペは一般公募ではなく、学士会会員に限ったようだ。1926(大正15)年6月に着工(最初の予定では1923(大正12)年9月1日、つまり関東大震災で延期された)、1928(昭和3)年4月末に完成。会館のオープンは5月20日。RC造の4階地下1階建。
『学士会館という建築』(東大教授・鈴木博之「学士会会報」2008年)に、建設当時の学士会館を紹介した建築学会発行の雑誌の記事が紹介されている。建物の外観について「…簡素質実は常に全体の設計に考慮された事であるが、然かも端麗にして、冒し難き気品を有し、会員が社会に対して恃すべき態度其のものを会館の外貌として居るので、古典建築の有する雅味と、荘重と、近代建築の有する気品と明快と、此の四つの要素が調和されて、新会館の様式が生れ出たのである」。当サイトにはコンペの、高橋貞太郎、北澤五郎、中村與資平の各プラン(透視図)が載っている。
昭和11年、2・26事件の際には、第14師団東京警備隊司令部が置かれ、昭和17年には屋上に高射機関銃が据えられという。戦後は米空軍に接収され、「学士会館士官クラブ」として使われた。返還されたのは昭和31年7月21日。

学士会館新館。1986(昭和61)年9月23日
旧館から後退して建つ5階建ての部分は、1937(昭和12)年9月20日の開業の新館。設計者は藤村朗(あきら)。三菱地所の社長になった人だ。兄の藤村操(みさお)は1903(明治36)年に華厳滝で投身自殺したことで有名。
学士会館の運営は最初、築地精養軒に任された。昭和7年10月に「学士会館精養軒」として独立、今も続いている。
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