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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




左:芳野屋、右:多ぬ喜寿司。墨田区京島3-20。2013(平成25)年5月5日

「向島橘銀座商店街」の明治通りの入り口付近である。この商店街は昭和60年に道路にカラータイルを敷いたり街灯を新しくしたのに伴い、「 下町人情キラキラ橘商店街」の名称で昭和レトロを前面に押し出して活性化をはかった。それから30年、今は「キラキラ橘商店街」の名前は一般化し、昭和レトロのコンセプトはテレビの格好の対象でもある。
商店街には「グルメシティ京島店(旧スーパーダイエー吾嬬店)」があるが、ほとんどは個人商店だという。そのグルメシティの場所は商店街の名称の由来になった映画館「橘館」があったところ。この映画館は昭和6年に開館し、商店街もさっそく「橘館通り」となったようである。1968年の地図に出ているから、大方の映画館が消えていった時期に橘館も閉館したのだろう。
上左写真は商店街入り口の角にある千成屋(せんなりや)呉服店(左)と波トタン貼り看板建築の芳野屋。千成屋は創業80年を迎えるという。
上右写真は明治通りの商店街入り口から入って振り返ってみた街並み。多ぬ喜寿司は創業60年になる。左に写っている和菓子のさがみ庵は大正13年の創業。



左:荒木理容館、右:芳野屋(婦人服)。京島3-20。2013(平成25)年5月5日

「バーバーアラキ、紅月ふとん店、コインランドリー、よしのや」の4軒は古い四軒長屋である。通りからアラキを見ると平屋のように見えてしまうほど建物の軒高が低い。



左:きくの家(もつ焼)、右:向島電化ハウス。京島3-21。2013(平成25)年5月5日

橘商店街がドブ川があった通りと交差するところ。商店街の角の看板建築にした集合店舗は4軒の別々の家の前面をまとめて改装したもの。
向島電化ハウスの建物は波トタン貼り看板建築。横を見ると屋根の上に三階を増築している。この電機店も戦後まもなくの創業らしく、武藤電機商会の店名を昭和38年に今の名称に替えた。昭和41年からレコードも扱うようになったそうだ。この辺りでは売れ筋はビートルズより歌謡曲だったろう。

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