
泰明館。文京区本郷6-20。1988(昭和63)年10月10日
本郷通りの東大正門前の横丁を入ると6差路の三角形の広場に出る。そこから西へいくと陸橋の清水橋だがその途中から北を見たのが上の写真。後ろのビルは求道学舎。駐車場の奥にあるコの字形の家が泰明館という下宿屋。右翼に入口があるがその位置や、建物両端が改装されていることから想像がつくが、元はロの字形の平面の建物だった。道路側の部分を取り壊したのである。中庭を持つ形の下宿屋は他にもいくつか建てられたらしい。
泰明館
1988(昭和63)年10月16日
上の写真の右の住宅と駐車場の間に玄関のところへ路地が通じていて、そこから進入して撮影した。その路地は泰明館の敷地で、現在は塞がれているようだ。当時の住宅地図では写真右の青い塀に沿って右へ抜けられたらしい。そこから玄関の正面が撮れたかもしれない。
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私は一人暮らしの経験がなく、今になるとそれが残念な気がします。普通は大学生から親元を離れるのでしょうが。
私が泰明館に住んでいた頃は、東大生、東京医科歯科大生、東洋大生、予備校生、若いサラリーマンが住んでいましたが、確かに、賄い付き下宿はあの当時では既にクラシックな部類に属していましたね。住人も少し変わった人が多かったように思います。
本番の受験直前に肺炎になってしまって、近くの慈愛病院に入院したっけ。おばちゃんにはお世話になりました。今でも時々思い出します。
25年も経って医学部の教官をしています。もし、関係の方がいらっしゃれば、お世話になりましたとお礼申し上げたいです。
若い頃は周囲の人に世話になってばかりいるわけですが、今では周囲の若い人の世話をする立場ですね。私のようになにもしない人間が言うのもなんですが。
いくつかの映画の撮影にも使わていましたので、探せばもう一度あの姿を目にすることもできるかも知れません。
建物は、人の歴史と重ねあって、積み重ねられ、忘れられないものとなるとあらためて思いました。
昨年、古い金庫から出て来ました。私の祖父が当書類一式を整えたようです。当家の歴史
本郷森川町に下宿されていたというと、お父様は東京帝国大学を卒業されたのでしょうか?
父の卒業研究論文への評価結果であったようです。
間も無く、父は高級官僚専用の官舎へ入居しています。
近い将来、流一様にお会いし、お話し出来ればと願っております。
お伺いします。昔からの泰明館は建替えしましたか?
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泰明館は現在「グリーンヒルズ泰明(2002年7月築、3階建)」というマンションに建て替えられています