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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




強羅ホテル。神奈川県足柄下郡箱根町強羅。1991(平成3)年12月22日

箱根登山鉄道の強羅駅のすぐ前にあったホテル。『日本近代建築総覧』に「建築年=1938(昭和13)年、構造=RC4階建て、設計=土浦亀城、施工=大蔵土木」となっている。とても戦前の建築とは思えないデザインで、「バウハウスの流れをくむモダニズムを取り入れた斬新なデザイン」(ウィキペディア)、あるいは「土浦亀城のインターナショナルの作品として最高のもの」(『近代建築ガイドブック』)ということだが、日本の建築史からみてもわりと重要な建物になるのではないかと思える。
強羅ホテルは1942(昭和17)年に東京急行電鉄が買収したが、1945(昭和20)年には国際興業が東急から買い取っている。1985(昭和60)年から富士屋ホテルが運営するようになったが、建物の老巧化で1998(平成10)年3月で廃業した。(ウィキペディア)


2001(平成12)年11月12日

廃業して3年ほど経つがまだ解体されていなかった。フリーマーケットの会場になっている。

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戦後の現役時代の写真に感激 (グズグズ)
2012-04-23 00:31:48
流一さん、戦後の現役時代の強羅ホテルの写真を見る事ができて感激です。戦前に建てられた土浦亀城の建物は戦後も古く見えないせいか、あまり写真が残っていないように思います。5年前に記事にされた泰明小学校うらのパールハウスビルもなかなか写真が残っていません。丹念な写真収集にいつもながら感嘆してしまいます。ところでホテルには宿泊されたのでしょうか?
 
 
 
>グズグズ様 (流一)
2012-04-23 17:39:58
昭和25年くらいの幼児の頃まで、夏になると強羅の祖父の別荘へ出かけていたので、親の言葉を聞きかじって強羅ホテルという名前は知っていました。古いホテルとは判っていても写真が1枚しかないのは、その外観に惑わされてあまり関心がいかなかったからでしょうね。
富士屋ホテルにしてもですが、高級なホテルには縁のない低流階級なもので、宿泊したことも食事をしたこともありません。今になるとホテルのパンフレットが欲しい。
 
 
 
懐かしい ()
2016-06-13 22:19:40
数十年前、近くの女子校に遠距離通学していたころ、面談などで母と帰りが一緒の時、ここでレモンパイ(すでに富士屋ホテル経営時代)を頂いて帰るのが好きでした。数年前に久しぶりに強羅へ遊びに立ち寄った時、知らない建物に変わっていたのに驚きました。なかなか当時の写真がなく、運よくこちらに辿り着きました。貴重な資料を感謝いたします。
同級生・お姉さまの中に近所の旅館のお嬢様方が沢山いらっしゃいましたが、ほとんどなくなってしまいました。時代は変わるものですね。
 
 
 
>鈴様 (流一)
2016-06-15 19:31:19
強羅の女子校の生徒は、近くの旅館のお嬢さんでなければ遠距離通学になってしまうのでしょうね。登山電車での通学でしょうか?
私は1943年生まれですが、近所にかよえる幼稚園がなく、当時鵠沼に住んでいいたので湘南白百合の幼稚園を考えたと母から聞いています。
 
 
 
昔の事ですが ()
2016-06-16 00:01:05
当方昭和40年代生まれですので、現在の状況は全く分かりませんが、地元箱根・熱海・伊東などの旅館のお嬢さん方や小田原でご商売されている方などが多かったと記憶しております。当方も小田原より電車通学しておりました。帰路、外国の方と仲良くなって文通した楽しい思い出もございます。
また湘南白百合には何度か英語クラブ(現在ではESS
)の交流で伺ったことがございます。懐かしい思い出です。
 
 
 
強羅ホテル (Amadio Arboleda)
2023-09-01 18:51:03
改めて強羅ホテルの写真を見ると、本当に素晴らしい。 東京大学出版会で働くため、1969年に家族と来日。 1975年まで、私たちは毎年夏に強羅ホテルに宿泊していた。 箱根の涼しい空気を感じながら大文字焼きを眺めるのは最高だった。
 
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