
水天宮北辰ビル。中央区日本橋蛎殻町1-39。1983(昭和58)年10月
新大橋通りの水天宮前交差点の角に建つ「水天宮北辰ビル」の旧ビル。名称も同じである。このビルに関しては手元にほとんど資料がないので、「久留米屋呉服店」として昭和3年頃に建ったらしい、ということしか分からない。昭和30年頃の火保図では「小杉金属工業、ホワイト、合名K伊菱洋行」で、すでにパチンコ屋が入っていたようだ。
写真では2・3階は使っているようには見えない。1階のパチンコ「ホワイト」は、ガラスブロックから光がもれているので営業しているのだろう。建物左の袖看板は「民芸酒房・力」。現北辰ビルは1986年の竣工なので1984年には取り壊されたと思える。
『日本橋法人会報・第186号(平成18年11月)』という冊子に有田芳男氏(人形町在住で「横丁の郷土史家」を自称)が「四つ角の洋風建築」という記事を寄稿している。水天宮前交差点には、 三原堂、 巴ビル(旧明治製菓)、そして北辰ビルの昭和初期に建ったビルが取り囲んでいた。「(三原堂の)南側に元久留米屋呉服店、郷愁をさそうアール・デコ、東京の街角から歴史が消えると建築学会からも惜しまれた、円弧を三つ重ねたような、大胆な正面が四つ角の顔でした」と記している。また、昭和59年4月22日撮影の写真が載っている。取り壊し直前の写真だろうか。久留米屋の写真も掲載されていて「元久留米屋総本店。昭和3年。」のキャプションがついている。
『東京路上細見2』(林順信著、平凡社、1987年、1900円)に、北辰ビルにあったキャバレー「ダット」のことが出てくる。新大橋通り側の2階の窓をふさぐように、電飾の「クラブ ダット」の看板があり、右の入り口にその文字を入れた日よけが出ていた。著者が「若いころ」というから戦後まもなくの頃らしい。「ここにかつてキャバレー「ダット」のグレーの建物があった。若いころ私は、よくここでダンスを楽しんだ。銀座や神田にない一風変わった穴場だった。そういえば、この「ダット」と同じ系列の喫茶店「プリンス」も甘酒横丁の東北隅の地下にあった。チャイナ服に身を包んだ飛び切りの美女たちが、両手を筒袖に入れて中国風のお辞儀をしては、客を楽しませてくれたものだ。」ということだ。
久留米屋の宣伝マッチ
(古川商店提供)
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2階にも在った「クラブ・ダット」がいつ営業を停止したのかは不明です。いつの間にか「しばらく休業します」の貼り紙が2階の店の入り口に貼られてました(実は私、解体が始まった直後にこのビルディングに入ったんです。何故か入り口ドアは施錠されて無かったもので…)。そして遂に営業が再開される事無く、旧北辰ビルは解体された訳ですが…そしてこれが、私が旧北辰ビルに入った唯一の例となりました…(マトモに在った時には、何故か全く入る気にならなかったもので…)
ホワイトには変なところに柱があってパチンコ台の設置や通行のを邪魔していた感があったのを思い出しました。
それにしても、解体の始まったビルに侵入したことがあるとは! 1階だけですか?
三原堂の隣に、ふかしまんじゅうやさんがあり、いつも湯気がたった出来立てのふかふかまんじゅうが食べられました^^