![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/2f/8c915ec46cfec1c1ec6172a93578c678.jpg)
巴ビル。中央区日本橋蛎殻町2-4。1987(昭和62)年4月29日
新大橋通りと人形町通りとの水天宮交差点に正面を向けて建っていた。昔の水天宮の賑わいがいかにすごかったかを伝えるような華麗な正面の装飾だ。DRAKOさんからの情報によると、水天宮交差点側の1階には「ミヤコ」というパチンコ屋が入っていたがとっくに出てしまっている。また、写真左端にパチンコの看板が出ているが、こちらは「ゴールドラッシュ」で、ビル解体の少し前まで営業していたという。両パチンコ屋の間には「まるか」という蕎麦屋があった。すでに撮影年の5年位前から網がかけられていた。
『日本近代建築総覧』には「巴ビル(旧明治製菓人形町売店)、中央区日本橋蛎殻町3-2、S4頃、RC3、設計=明治製菓営繕課?、施工=島崎組、備考=「建築世界」。葉書回答によれば、設計:復興助成K.K.、施工:松井建設と云う」となっている。
左:1986(昭和61)年7月6日、右:1987(昭和62)年4月21日
ビルの角の上に突き出ているのは煙突だろうか、あるいはただの装飾かもしれない。屋上からこれを撮った写真が『乱歩と東京』(松山巖著、PARCO出版、1984年)に載っている。
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こちらのサイトは調査がすごく充実しているので、先の神田の佐竹ビルの他、手持ち画像と照合して、よく分からなかったビルがさらに判明しました。
誠に、ご労力感謝しております。
「調査が充実」といっても、地図を眺める以外にはサイトからもらってくることも多く、あまり感心したことではないと思っています。
…で、チラッと訂正のお願いです。かつての巴ビル一階には実はパチンコ屋が二件あり、角にあったのは「ミヤコ」というお店です。「ゴールド」も「ゴールド」そのものではなく「ゴールドラッシュ」という名前のお店で、しかもこのビルの角ではなく脇腹部にありました(「ゴールドラッシュ」がなくなったのは角にあった「ミヤコ」がなくなったのよりもずっと遅く、巴ビル解体の少し前でした。その隣には「まるか」という蕎麦屋もありました〔「ミヤコ」がなくなったのは70年代後期か80年代初期だと思います〕)
貴重な評言を得て本文の記述を、
「1階角はゴールドというパチンコ店が」→「DRAKOさんからの情報によると、水天宮交差点側の1階には「ゴールドフラッシュ」というパチンコ屋が」
「写真左端にパチンコの看板が出ているが、こちらはまた別の店」→「写真左端にパチンコの看板が出ているが、やはりDRAKOさんによれば、こちらのビルの横丁側は「ミヤコ」という店。ビル解体の少し前まで営業していたそうなので、撮影時にもやっていたかもしれない」
と訂正しました。
「水天宮交差点側の1階には「ゴールドフラッシュ」というパチンコ屋が入っていたがとっくに出てしまっている。」→「水天宮交差点側の1階には「ミヤコ」というパチンコ屋が入っていたがとっくに出てしまっている。」
「写真左端にパチンコの看板が出ているが、やはりDRAKOさんによれば、こちらのビルの横丁側は「ミヤコ」という店。ビル解体の少し前まで営業していたそうなので、撮影時にもやっていたかもしれない。」→「また、写真左端にパチンコの看板が出ているが、こちらは「ゴールドラッシュ」で、ビル解体の少し前まで営業していたという。両パチンコ屋の間には「まるか」という蕎麦屋があった。」
新しくなって【水天宮】と大きく書かれている所に移り、
今度建て替えになったらどこに行くのでしょうね。
まだこの頃は縁日がとても賑やかで、
出店も多かったと記憶しています。
グツグツ寒天を煮る匂いが流れてました
此処は、毎月5日には、縁日と植木市でにぎわいましたね
水天宮が2階建てになる前は、境内が広くて良かったですね