ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




立花医院。中央区日本橋人形町1-4。1985(昭和60)年頃

左右の道路はこの辺りでは通称・芳町通りといっている。写真左へ少し行ったところで人形町通りと人形町交差点で交わっている。写真右奥へ行くと東華小学校(現・日本橋小学校)がある。
立花医院の設計者は中村庸二という。たぶんほとんど知られていない人だと思うが、ぼくは中村庸二の孫である中村耕造氏から、中村庸二の作品の写真集を見せて頂いて知ることができた。中村耕造氏は港区高輪で「一級建築士事務所 株式会社中村建築設計事務所」を構えている建築設計士である。当ブログの「森友通商/小網町」に「中村庸二建築事務所の設計」という一文があったことから連絡を頂いた。

いずれは中村耕造氏ご自身が祖父の業績をまとめられると思うが、簡単に中村庸二の経歴を記しておく。1891(明治24)年生まれ。1914(大正3)年、東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築学科を卒業。中村田邊建築事務所主席技師として勤務。大正の終り頃に人形町に自分の設計事務所を設立。1933(昭和8)年、浜町の優生病院で死去。
中村庸二の作品をまとめた写真集は、書名を『建築作品・第一集』という。中村庸二編集、洪洋社(東京市牛込区市谷台町10)から、昭和3年7月15日に発行されている。定価1円。本書に収録されているのは27点、うち8点はスケッチで、まだ工事中で写真原稿が間に合わなかったものが含まれるようだ。洋風の店舗や医院、住宅、6階建てのビル(浜町ビル、旧・優生病院)から和風の住宅まである。
当ブログにそれと知らずに中村庸二の作品を載せていた。堀内商店(日本橋蛎殻町)、水村屋(日本橋小網町)、細沼商店(人形町)、東京村田(人形町)、岩瀬博美商店(銀座)である。

立花外科医院は現在も建て変わったマンションで開業しているようだが、そのマンションの完成が1999年10月だから、写真の家は1997年頃に取り壊されたかと思う。「建築作品」に竣工時の写真が載っている。大きくは変わっていない。入口右の窓は、建物の横に3個並んでいる窓と同じアーチ型だったが修理のときに四角い窓になってしまったのだろう。2階の窓の前はベランダである。竣工時には手すりがついていた。建物の角に棕櫚が植わっているが竣工時の写真にも2階の窓の庇に届く高さの棕櫚がすでに植えられている。

個人医院には洋館風の建物がわりと多いから、この建物もその典型で、なんとなく標準的なもののように思っていた。しかし、それはぼくが見慣れていたというだけで、他にこの建物に似たものがあるかと考えると特には思い浮かばない。洋館という言葉から思い浮かぶ形式そのままではなく、もう少し現代的なものを目指した形だろうか。ぼくは趣味で建物を見ているだけなので、専門的に建物のデザインがどうということは言えないが、かなり中村庸二独自のものを出した設計になるような感じがする。



1988(昭和63)年5月1日

『日本近代建築総覧』には「立花医院、中央区日本橋芳町1-8、S2、木2、設計者:押尾友人(粟家鶉二建築事務所)」となっている。押尾友人という人がどういう調査の過程で出てきたのか分からないので、なんともいいようがない。

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