小網町郵便局の並び。中央区日本橋小網町11・12。1985(昭和60)年4月21日
左の2軒が水村屋本店(酒)、右は魚射(うおのみ)商事。昭和20年代の地図では左から「水村屋食品、小網町郵便局、野田酒店、日本ジュータン製作所」の順になっている。水村屋は野田酒店を買い取って酒屋を開いたのかもしれない。
水村屋本店。日本橋小網町11。1987(昭和62)年6月7日
水村屋本店の看板建築が他にはあまり見かけないデザインだ。森友通商と同じ鉄平石を貼り付けている。
魚射商事。日本橋小網町12。左:1982(昭和57)年11月14日、右:1986(昭和61)年4月6日
魚射商事のスクラッチタイル貼りの建物は氏原医院として建てられた。たぶん、タウン誌「人形町」の記事だったと思うが、高橋是清の主治医だった医学博士・氏原均一の東京の別邸だったという。昭和61年には空き家になっている。
左写真の表札は「グラハム商事株式会社」。
小林金物店。日本橋小網町11。左:1985(昭和60)年、右:1987(昭和62)年6月7日
3階建ての銅板張り看板建築。店名のレリーフがある。左写真右は魚射商事、右写真隣は吉川工業。
歴史的建築総目録データベースに登録されている。それによると、昭和4年頃の建築で、設計:高橋慶次郎、施工:池亀禰吉。
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野田酒店については記憶にありません。昭和30年頃? 水村屋は酒屋・食料品屋、角店(かどみせ)も水村屋のもので、営業には使っていない、と認識していました。角店を解体したところ郵便局も改築が必要とわかり、敷地を交換しました。
水村屋の隣は小森商会、その隣には銘菓の「三(み)はし堂」がありました。
ご指摘のとおり、本文のほうを、木村屋→水村屋と訂正しました。
また、写真を入れ替えて大きい画像を表示できるようにしました。
郵便局が角に移った経過では、写真の郵便局の建物は昭和30年頃のものですね。
と小森商店さんのとなりが水村屋でした。間に郵便局があったのが不便となり、私の祖父が代替したとのことでした。そのときあたらしく角から2件目と元からある家とを中でつなげて、あらたに角に郵便局を建て替えて差し上げたとのことでした。建築家の名前はここで見るまで知らず、久しぶりに子供時代に育った家を見てうれしさが込み上げました。平成元年に現在のビルへと立て替えてしまい
この時代の写真がみることもなかったので感謝です。
「野田酒店」に関しては、どうやら地図の記載ミスのようですね。
「立花医院/人形町1丁目」の記事も読んでいただいたようですが、「中村庸二建築事務所」というホームページの「WORKS作品集から」で、水村屋商店の店舗の完成時の写真が公開されています。1階上の壁に人の顔のレリーフがあったのですね。
昭和34年、有馬中学3年では小林金物店の息子さんが私と同級生でした。
ます。顔のレリーフは、ビルに改築する際に
はずして、保管してあります。これは、お酒の神様のバッカスを
モデルにしているそうです。酒屋だからお酒の神様。昔の家が私の
中ではいまでも鮮明に残っています。家の中は、いまではもうないであろう漆喰?のかべで足で蹴ると中から砂がでてきたりしてました。
それにほうきで掃除をしたとき用のゴミ出し窓、中にあった床の間には
とても高価な3本の木をほどこしてありました。それとかなり大きな
昭和時代か大正時代の金庫もありました。本当にありがとうございます。