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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




文銭堂。千代田区神田神保町1-13。1985(昭和60)年7月21日

神保町のすずらん通りの白山通りに近い街区。右奥のビルが白山通りを渡ったところの神田神保町ビル。そこは撮影時の2年位前には救世軍本営の中世の城みたいなビルがあったのだが写真を撮りそこなった。
写真左に莉須凡(和風喫茶、文銭堂の経営らしい)がちょっと写っていて、以下、文銭堂(和菓子)、包子餃子(スヰートポーヅ)、青銅(喫茶)、コンチ(喫茶)、山形屋紙店、清光堂(洋品)、廬山菜館、揚子江菜館、東明徽章工芸、白山通りとの角が理髪一番。山形屋は自社ビルの建築中なので仮店舗として家を借りているらしい。



1枚目の写真の家並みを逆方向から。現在、同じ建物で同じ店というのは包子餃子と東明徽章。1987(昭和62)年11月8日

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コメント
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2009-04-13 02:57:21
スヰート包子と莉須梵は学校の帰りによく寄り道しておやつを摂って帰ってました。反対側が揚子江だったかな??確かそこでも焼き蕎麦を食べてから帰宅していた記憶が・・・当時、寄り道がしたがために九段からわざと徒歩通学してました。
 
 
 
>むにゅ様 (流一)
2009-04-13 11:13:27
九段下から神保町すずらん通りなら戦前の街並みを見ながら歩けましたね。それとも当時の興味はやはり甘いもの?
スヰート包子は正面は改装されていますが同じ建物で続いています。たぶん戦前建築の看板建築だと思うのですが。
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2009-04-13 17:56:46
あの当時は本と食べ物目当てでしたからね・・・あの頃、今の価格のような安いコンデジのカメラでもあればものすごく貴重な資料が残せたでしょうね。何も考えずに当たり前に歩いていたことが悔やまれますが、実際、看板建築を生まれた時から見慣れてしまっているのである程度感覚も麻痺していたのかもしれませんね。自宅の向かいも洋館だったのですが、写真に残すことはしてません。地元の人たちの感覚ってそういうものかもしれませんね。保存とか以前の感覚なのでしょう・・・消えていく建物が増えてきてからやっと、カメラを手にするようになったくらいですし・・・それだけに、ここは貴重なブログですよ~
 
 
 
懐かしい写真です (スラバヤ)
2011-04-05 21:07:46
最近、ふと思いつき、神保町周辺の思い出の地図帳をつくりはじめましたが、かつてあった店もいまでは数少なく、店舗の位置も不確かになってわからなくなってしまいました。偶然、このサイトを拝見し、町並みをまざまざと思い出しました。ありがとうございます。10年前まで40年近く、仕事の関係で神保町界隈で過ごしましたが、なにも記録したことがなく、思い出のみがたよりでした。青銅には毎日のようにいっておりましたし、スヰート・ポーズにもよくいきました。私の先輩に、神保町の町並みを克明に調べ、店名もきちんと記録している方がおりましたが、その後発表したとは聞いておりません。いまさらながら、この方を真似ていればと思いますが、後の祭りです。このほかにも神保町の記録写真がありましたら、ぜひサイトにのせてください。ありがとうございました。
 
 
 
>スラバヤ様 (流一)
2011-04-06 12:31:14
神保町で40年間働かれていたとは、ほとんど神保町の主ではないですか。変貌していく町の様子をつぶさに見てきたことと思います。思い出の地図帳も時代ごとに何枚も必要になりますね。
私は神田とのかかわりは本屋くらいで、飲食店に関してはあまり知りません。店名は1986年の住宅地図から書き出しています。写真は昭和末から平成初年の撮影に限られていますが、スラバヤさんの参考になれば幸いです。
ブログに未掲載の神保町の写真はもうあまりありません。すずらん通りのアオイ印房と2丁目の伊勢屋(和菓子)くらいでしょうか。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-02-13 23:04:07
懐かしいなあ。青銅で平成元年にバイトしてました。
編集者のお客様や原稿持ち込みの方がおいでになりました。
平成二年か三年に閉店しましたけど。

スヰートポーヅも懐かしいです~
 
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