コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2009-04-13 02:57:21
スヰート包子と莉須梵は学校の帰りによく寄り道しておやつを摂って帰ってました。反対側が揚子江だったかな??確かそこでも焼き蕎麦を食べてから帰宅していた記憶が・・・当時、寄り道がしたがために九段からわざと徒歩通学してました。
 
 
 
>むにゅ様 (流一)
2009-04-13 11:13:27
九段下から神保町すずらん通りなら戦前の街並みを見ながら歩けましたね。それとも当時の興味はやはり甘いもの?
スヰート包子は正面は改装されていますが同じ建物で続いています。たぶん戦前建築の看板建築だと思うのですが。
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2009-04-13 17:56:46
あの当時は本と食べ物目当てでしたからね・・・あの頃、今の価格のような安いコンデジのカメラでもあればものすごく貴重な資料が残せたでしょうね。何も考えずに当たり前に歩いていたことが悔やまれますが、実際、看板建築を生まれた時から見慣れてしまっているのである程度感覚も麻痺していたのかもしれませんね。自宅の向かいも洋館だったのですが、写真に残すことはしてません。地元の人たちの感覚ってそういうものかもしれませんね。保存とか以前の感覚なのでしょう・・・消えていく建物が増えてきてからやっと、カメラを手にするようになったくらいですし・・・それだけに、ここは貴重なブログですよ~
 
 
 
懐かしい写真です (スラバヤ)
2011-04-05 21:07:46
最近、ふと思いつき、神保町周辺の思い出の地図帳をつくりはじめましたが、かつてあった店もいまでは数少なく、店舗の位置も不確かになってわからなくなってしまいました。偶然、このサイトを拝見し、町並みをまざまざと思い出しました。ありがとうございます。10年前まで40年近く、仕事の関係で神保町界隈で過ごしましたが、なにも記録したことがなく、思い出のみがたよりでした。青銅には毎日のようにいっておりましたし、スヰート・ポーズにもよくいきました。私の先輩に、神保町の町並みを克明に調べ、店名もきちんと記録している方がおりましたが、その後発表したとは聞いておりません。いまさらながら、この方を真似ていればと思いますが、後の祭りです。このほかにも神保町の記録写真がありましたら、ぜひサイトにのせてください。ありがとうございました。
 
 
 
>スラバヤ様 (流一)
2011-04-06 12:31:14
神保町で40年間働かれていたとは、ほとんど神保町の主ではないですか。変貌していく町の様子をつぶさに見てきたことと思います。思い出の地図帳も時代ごとに何枚も必要になりますね。
私は神田とのかかわりは本屋くらいで、飲食店に関してはあまり知りません。店名は1986年の住宅地図から書き出しています。写真は昭和末から平成初年の撮影に限られていますが、スラバヤさんの参考になれば幸いです。
ブログに未掲載の神保町の写真はもうあまりありません。すずらん通りのアオイ印房と2丁目の伊勢屋(和菓子)くらいでしょうか。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-02-13 23:04:07
懐かしいなあ。青銅で平成元年にバイトしてました。
編集者のお客様や原稿持ち込みの方がおいでになりました。
平成二年か三年に閉店しましたけど。

スヰートポーヅも懐かしいです~
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。