ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




日比谷パークビルディング。千代田区有楽町1-8。2004(平成16)年2月7日

1952(昭和25)年3月に「日活国際会館」として完成したビル。設計・施工は竹中工務店。地上9階地下4階建。
戦後初の大型ビルの建設ということで話題になった。地階の「潜函工法」は工事中から注目され、竹中工務店も宣伝に努めたらしい。「日活ホテル」(一般には日活国際会館というより日活ホテルの名で通用していたと思う)は完成時にはすっかり有名になっていたらしい。1階地階に店舗、2-5階がオフィス、6-9階に日活ホテル133室が入り、映画会社の「日活」の本社もこのビルに移った。
写真では壁は白いパネル状のものが貼られている。竣工時は淡い青のタイル貼りだった。地下の潜函工法による壁は、建て替わった「ザ・ペニンシュラ東京」でもそのまま使われている。

日活社長の堀久作(1900-1974年)は、松方乙彦(元総理大臣・松方正義の息子)の秘書だったが、松方から送り込まれる形で1934(昭和9)年に日活に入社、1945年に社長に就任している。日活に行く前は山王ホテルの経営に携わっていた。
戦後、日比谷交差点角の日比谷パークビルの土地は進駐軍に接収されて第一生命相互館にあったGHQの駐車場になっていた。1948(昭和23)年、「日本航空」から土地売却の話が持ち込まれ、堀は即座に購入する。都心の1300坪の購入金額はどのくらいだったのだろう? 堀はホテル、劇場、美術館などからなる国際的な複合施設の建設を構想して、GHQ、竹中工務店、銀行などに手を回す。ビルの着工は1950年1月。
映画界は全盛期を迎え、そのうちに斜陽産業に転落してしまう。堀は会社再建のため、1970(昭和45)年1月にビルを三菱地所に売却した。4月に名称は「日比谷パークビルヂング」に替わり、ホテルは廃業、オフィスビルになった。
2003年に解体され、2007年9月に「ザ・ペニンシュラ東京」が建った。元の日活ホテルに還ったようなものだろうか。

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