ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




佐原三菱館。千葉県香取市佐原イ1903。2003(平成15)年7月20日

「佐原三菱館」という名称はわりと最近ついたような感じもするが、便利なので最初からこの名称を使うことにする。
千葉県>千葉県教育委員会>三菱銀行佐原支店旧本館』によると、佐原三菱館は1914(大正3)年に「川崎銀行佐原支店」として建設された。「当時の建築設計図には、清水満之助本店(現在の清水建設)技術部の設計になることが記されている」。建物構造と外観の特色は「煉瓦造2階建て、木骨銅板葺屋根の明治時代の洋風レンガ建築の流れをくんでいる。内部は吹き抜けで、2階周囲には回廊がある。正面右隅に造られた入口はルネサンス風の外観で、この区画の頂上にはドームが付けられており、建物全体の景観にアクセントが与えられている。全体のデザインは、ルネサンス様式で、レンガと花崗岩で構成される特徴的な外観の建物である」としている。
川崎銀行は佐原三菱館建設に先立って、1880(明治13)年に「佐原出張所」を開設している。川崎銀行設立と同時らしく、千葉県内の支店(千葉と水戸)に次ぐ重要な都市として佐原を見ていたということだろう。1898(明治31)年に支店に昇格した。以降、「川崎第百銀行」(1927年)、「第百銀行」(1936年)と改称、1943年には三菱銀行に吸収された。1989(平成元)年、新店舗(現・佐原町並み交流館)が完成し、佐原三菱館は佐原市に寄贈された。
『佐原三菱館建設100周年を迎えて』というパンフレットが、『 NPO法人 小野川と佐原の町並みを考える会>保存活動>町並み保存資料集>』のサイトで見ることができる。そこに「煉瓦と花崗岩で構成する「辰野式」の意匠」とある。言われればそうなのかな、という感じではある。清水満之助本店技術部の技師長は田辺淳吉(1903年東京帝国大学工科大学卒)で、田辺は辰野金吾の関与により、高岡共立銀行(現富山銀行本店)を設計している。その田辺の指導で設計担当の大友弘が設計したのではないか、という推測である。

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