ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




三野村合名会社。江東区清澄2-8。2006(平成18)5月1日(4枚とも)

清洲橋通りの清洲橋と地下鉄の清澄白河駅の中間にある2階建てRC造の小さな事務所ビル。現在の看板は「三野村株式会社」だが、資料などでは「合名会社」としてあるのが多いのでここでは建物名として合名会社を使う。
この建物は『東京建築懐古録』(読売新聞社編、読売新聞社、1988年、1600円)に取り上げられている。以下、それによる。
三野村合名会社は三野村利左衛門(1821-1877)がその晩年に一族の資産を運用するために設立した会社。この人は有名とは言えないと思うが、当書には「江戸から明治初期に活躍した実業家。三井家につかえ、第一国立銀行の副頭取を務め、三井銀行の設立に活躍するなど三井財閥の基礎を作った。」とある。三菱の岩崎弥太郎のような人物らしい。「岩崎弥太郎が築いた清澄庭園の北側に豪華さを競うように三野村家の広大な邸宅があった。」とあり、その邸宅跡の碑のようなビルといえるかと思う。
役員会議事録に「中村琢治朗氏に顧問を委託し、吉田安太郎氏を建築技師として雇い、設計にあたらせた」という記録がある。テラッコッタで飾られた玄関を入ると正面に石造りの階段。左手に事務室で、壁にはめ込まれた建築時からの大金庫がある。他に会長室、応接間、宿直室など5つの小部屋。二階は重役室が三つと大会議室、という間取り。建築当時の調度品が多く残るという。
3月10日の東京大空襲では200人の人がこのビルに逃げ込み、必死に防火にあたってビルが残った。鉄線の入ったガラスが割れずに火が入らなかったという。





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