ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




函嶺洞門。神奈川県足柄下郡箱根町湯本。2006 (平成18)年5 月20日

函嶺洞門は箱根国道に設けられた落石覆(らくせきおおい)という落石から道路を守るための建造物。RCラーメン構造で、形状からは開腹隧道ともいった。工期は1930(昭和5)年4月から翌昭和6年10月。工事中だった1930年11月26日に発生した北伊豆地震――丹名盆地直下を震源とする丹名断層などの活動による地震。M7.3、三島で震度6、横浜でも震度5――では工事現場でも崖崩れがおき、1立方mほどの石にも直撃されたが、施設の有効性が証明されたという。
『土木建築画―昭和7年5月号』の「国道一号線足柄下郡湯本町地内に築造せる開腹隧道に就て」には、場所の説明に「函嶺親不知の異名」という言葉が出てくる。洞門の天井の上に1.5mの厚さに土を盛った。今はそこに木が茂っている。入口上部中央の名板には元は枠があったようだ。また入口の柱には街灯が取り付けられていた。歩道の川側の欄干はコンクリート製だったらしい。



会館橋。箱根町湯本。2006 (平成18)年5 月20日

函嶺洞門から小田原側のすぐそばに早川の対岸へ渡る会館橋という橋がある。渡ったとこで、駐車場のような広場があるだけだ。撮影時では箱根町の管理で「臨時無料観光駐車場」となっていたが、今はバイパス工事用の用地になっているらしい。
かつてはここに「箱根観光会館」があった。食堂と土産店のある主に団体用の施設だったのではないかと思う。昭和63年の空中写真には写っている。会館橋はその名称からして箱根観光会館と一体で架けられたものらしい。昭和30年代の建設かと考えているが、ネット上ではまったく情報がない。端の四隅にだけスクラッチタイルを貼った低い欄干があり、函嶺洞門を意識した造りなのかもしれない。

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