ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 






じゅらくビル。台東区上野4-10。1995(平成7)年頃

1986年の住宅地図には「上野京成ビル」となっているが、ネット上では「じゅらくビル」が多く使われているようなので、名称はそれに倣った。『日本近代建築総覧』では「上野京成ホテル聚楽、上野4-10-8、構造=RC8」の記載しかなく、未調査だったようだ。「じゅらく」とは食堂の名前だと思う。上の写真右手の2・3階の壁に付けられた4個の袖看板に1字づつ「じゅらく」の字が入り、その右に「3F和風お好み食堂」のネオンが置かれ、赤い日よけにも「Juraku」のマークが入っている。
廃景録 じゅらくビル』によると、京成電鉄が「上野公園駅本屋」(京成本社ビル)として1936(昭和11)年3月に完成したビル、ということだ。竣工時は5階建てだったのが、戦後増築して7階建てにした。「京成電鉄五十年史(1967)」からの引用文が興味深い。1969年の住宅地図には「京成電鉄ビル/京成聚楽/京成名店街」の記載だ。
都市徘徊blog じゅらくビル(2010.03.28)』によると、「上野京成ホテル」は1969~1977年の間だったという。
収蔵庫・壱號館京成電鉄ビル(2008.10.31)』によると、設計者は久野節である。ぼくは初めて聞く名前なので、ウィキペディアの解説を以下にまとめた。
久野節(くのみさお、1882(明治15)-1962(昭和37)年、大阪府出身)は、1907年東京帝大建築学科を卒業して千葉県技師に。1911年鉄道省技師に。1920年鉄道省の初代建築課長に。1927年鉄道省を退官、久野設計事務所を設立。主な作品は、佐倉高校記念館(1910年)、南海ビル(難破駅、高島屋百貨店、1930年)、東部ビル(浅草駅、松屋百貨店、1931年)など。



左:1986(昭和61)年7月、右:2001(平成13)年2月17日

中央通りがJR上野駅の前でカーブする角の、軍艦の船橋にたとえられる先端部が特徴的だ。後退した6階から上が戦後の増築とは知らなかった。それにしても手前にトラックが大きく写り込んでいる。撮影時に分りそうなものだが。
京成上野駅から地下道でじゅらくビルに出る出入り口はアメ横口という。ヨドバシカメラのビルに建て替わってからは、まだ利用したことがない。『 モダン建築逍遥 じゅらくビル』は、路上の明り取りのブロックガラスや地下道とそこへの階段などの写真があって、目の付け所がユニークだ。

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