ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



東京都庁東3号庁舎。千代田区丸の内3-8。1991(平成3)年4月21日

丸の内の都庁はJRの線路を挟んで西と東にあった。東側の敷地には第2本庁舎、第3本庁舎、東6号庁舎、東3号庁舎があった。東3号庁舎は東側の敷地、南西角にあった戦前に建てられたビルである。『総覧』では「東京都東3庁舎(旧丸の内食堂)、建築年=1931(昭和6)年、構造=SRC6、設計=東京都、施工=中央土木」。設計は正確には「東京市」だと思う。
このビルを見て、誰も「丸の内食堂」という飲食店のビルとして建てられたとは思わないだろう。『帝都復興せり!』(松葉一清著、平凡社、1988)に、「「深川食堂」や、流線型の意匠で威容を誇った「丸の内食堂」が、公共の手での市民生活の向上をはかった所産……」とあるので、丸の内食堂は東京市が貧困層のために設置した食堂だったと分かる。昭和22年の地図では「都民生局」であり、「民生食堂」(「公衆食堂」とも)を運営管理する部局の市庁舎に丸の内食堂を設置したのかと想像できる。
「流線型」といわれる全体の形も、『廃景録>旧都庁東3号庁舎』で言っているように、アールの角を中心に両側面を見られればよりいっそう感じられるのだろう。同サイトでは1996(平成8)年頃に解体されたという。線路西側の都庁の建物が全てなくなってからも5年間ほどは存続したらしい。『ウィキペディア』では、解体前は「豊田通商本社」が使っていたと記されている。

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