ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



左:洋館。弥生2-18。1989(平成1)年4月29日
右:おばけ階段。弥生2-根津1。1990(平成2)5月6日

左写真の家はおばけ階段の上のすぐそばにあった家。この家の裏は東京大学のグラウンドである。写真ではどんな家なのかよく分からないが、ぼくが見たところでは戦前建築の洋館のように感じた。この家のそばに東大向丘学寮という木造平屋の長屋のような感じの家があったが、写真に撮っておけばよかった。
おばけ階段は現在、下半分くらいが拡張された。新旧の比較は『都市徘徊blog>おばけ階段』で分かりやすく示されている。ほとんど無意味な拡幅工事が行なわれる理由も考察されている。家を建替える際、道路用地として土地を取り上げるのはよくある。狭い道路で部分的に広くしてもしようがないかもしれないが、車のすれ違いの場所になったりする。おばけ階段の場合は幅を広げては名所がひとつ消滅するようなものだが、道路にしないのなら土地を提供しなくてもいいだろう、という声が出ては困るのだろう。

旧弘田邸。弥生2-16。2008(平成20)年9月10日

田仲旅館の隣で、最近撮影した写真のとおり今もきれいに使われている。表札が弘田ではないようだったので「旧」とした。『日本近代建築総覧』に「弘田竜太郎邸、建築年=昭和5年、構造=木2、設計=古橋柳太郎」の記載がある。
「弘田竜太郎」をネット検索すると「弘田龍太郎」という音楽家が出てくる。これだけでは同一人なのかは分からなかったのだが、『不思議の町 根津』(森まゆみ著、ちくま文庫、1997年)に、「作曲家弘田龍太郎のスペイン風の洋館が現存し」とあって、めでたく結びついた。弘田龍太郎は北原白秋等と組んで多くの童謡を作曲した人だ。『鯉のぼり』『浜千鳥』『叱られて』『靴が鳴る』などは誰もが知っている。ぼくはその作曲家の名前をこの稿を書いて初めて知った。
サトウハチローは昭和12年に弘田邸の裏手の家に引っ越してきた。サトウの作詞した曲はないかと探したら童謡らしい2曲がみつかったが、ぜんぜん知らない歌だ。両家に付き合いがあったのかは知らないが昭和27年に弘田が亡くなったときにはサトウは葬儀に出ているだろう。弘田の墓は谷中の全生庵という寺にある。山岡鉄舟の建立した寺で、三遊亭圓朝が集めた幽霊画が有名だ。

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