
土浦まちかど蔵・大徳。茨城県土浦市中央1-3。2006(平成18)年11月5日
中城通りは水戸街道の城下町・宿場町として、土浦の中では最もにぎわったところだ。今でもそんな雰囲気が感じられる古い商家の建物が幾つか残っている。「土浦まちかど蔵・大徳(だいとく)」は江戸時代後期に建てた元の呉服屋の建物を改装した、市の観光案内・土産物販売の施設で、内部の見学もできる。
大徳呉服店の創業は天明5(1785)年、大国屋徳兵衛という人による。現在の株式会社大徳の社長は8代目。1974(昭和49)年に店舗を現在地の駅前通りに移転した。
建物は、中城通りに面して「店蔵(見世蔵)」と「袖蔵」が見える。店舗だった店蔵は北棟で、その裏側に住居部分である南棟があり、合わせて店蔵というらしい。街道に面した形が土浦城下の町家の伝統的な姿になる。
まちかど蔵大徳とキャノン美容室の間の横町を入ると、店蔵の後ろにある土蔵が見える。2棟あるが、どちらかがあるいは両方とも「元蔵」で、天保13(1842)のもの。「向蔵」というのがどれになるのか分からない。これらの建物は1998・9年に改修を受けて、今の、漆喰の白が美しい姿を見せているらしいのだが、これは建物を譲り受けた土浦市によるものかと思う。2011年の東日本大震災の際は瓦が全部落ちたという。2016年8月、「土浦まちかど蔵・野村」と共に国の有形文化財に登録された。

まちかど蔵大徳の横の路地。土浦市中央1-2。2006(平成18)年11月5日
まちかど蔵大徳の横を南に入る路地。写真左の建物は、現在は取り壊されて駐車場になっている。
まちかど蔵大徳の前の中城通りは、写真の路地の角のところで少し食い違っている。1枚目写真でなんとなく分かるかもしれない。古い街道に見られる「桝形」だろうか。道をクランク状にするのは敵の進行を遅らせるため、のようにも言われるが、街道を一列で来る場合は障害というほどの効果はないだろう。たぶん、旅人に先が見通せないようにしたのではないか。人は先が見えるとつい進んでしまおうとするから、それを見えないようにして、町に人がとどまって、泊まったり買い物をするように仕向けた?
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