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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




札の辻交差点角の家。埼玉県川越市元町1-14。1989(平成元)年9月18日

川越の「蔵造りの町並み」はその北端が「札の辻」交差点で、東西の大通りと交わる。江戸時代に高札場だったところから札の辻というわけだが、江戸期にはこの辺りが川越では最も賑わったところなのかもしれない。交差点から東へ向かう「本町通り」は市役所の南を通るが、そこは川越城の西大手門になる。「本町」とは元町(もとまち)の旧町名になるようだ。
写真は交差点の北東角にあった商店だったと思われる家。今は「札の辻ポケットパーク」という小さな公園になっている。
写真左の看板建築は、二階上の壁に「小林商店」と読めるので、小林タバコ店である。建物は今も健在で、「そば工房 蕎花 川越札の辻店」という店になっている。

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佐原三菱館。千葉県香取市佐原イ1903。2003(平成15)年7月20日

「佐原三菱館」という名称はわりと最近ついたような感じもするが、便利なので最初からこの名称を使うことにする。
千葉県>千葉県教育委員会>三菱銀行佐原支店旧本館』によると、佐原三菱館は1914(大正3)年に「川崎銀行佐原支店」として建設された。「当時の建築設計図には、清水満之助本店(現在の清水建設)技術部の設計になることが記されている」。建物構造と外観の特色は「煉瓦造2階建て、木骨銅板葺屋根の明治時代の洋風レンガ建築の流れをくんでいる。内部は吹き抜けで、2階周囲には回廊がある。正面右隅に造られた入口はルネサンス風の外観で、この区画の頂上にはドームが付けられており、建物全体の景観にアクセントが与えられている。全体のデザインは、ルネサンス様式で、レンガと花崗岩で構成される特徴的な外観の建物である」としている。
川崎銀行は佐原三菱館建設に先立って、1880(明治13)年に「佐原出張所」を開設している。川崎銀行設立と同時らしく、千葉県内の支店(千葉と水戸)に次ぐ重要な都市として佐原を見ていたということだろう。1898(明治31)年に支店に昇格した。以降、「川崎第百銀行」(1927年)、「第百銀行」(1936年)と改称、1943年には三菱銀行に吸収された。1989(平成元)年、新店舗(現・佐原町並み交流館)が完成し、佐原三菱館は佐原市に寄贈された。
『佐原三菱館建設100周年を迎えて』というパンフレットが、『 NPO法人 小野川と佐原の町並みを考える会>保存活動>町並み保存資料集>』のサイトで見ることができる。そこに「煉瓦と花崗岩で構成する「辰野式」の意匠」とある。言われればそうなのかな、という感じではある。清水満之助本店技術部の技師長は田辺淳吉(1903年東京帝国大学工科大学卒)で、田辺は辰野金吾の関与により、高岡共立銀行(現富山銀行本店)を設計している。その田辺の指導で設計担当の大友弘が設計したのではないか、という推測である。

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まぎのや。千葉県香取市佐原イ1902。2003(平成15)年7月20日

中村屋乾物店の隣の土産店。「まぎのや」は現在、伊能忠敬旧宅の小野川の向かい側にある。写真の香取街道のほうの店は、旧店舗だったのか、支店だったのかは不明。看板建築にしているが、建物の前面は平屋の寄棟屋根の下に瓦屋根の庇が出ている形なので、2階に見える部分はただのダミーだったと思える。『佐原市佐原地区町並み形成基本計画』に「大正3年の町並み」の図が載っている(39頁)。その図にまぎのやと隣の花冠が描かれているので、明治期の建物、それも1892(明治25)年12月の大火以降に建てられたものと思われる。
今は建物の看板部分を取り払い、元の伝統的な町家に戻して古民家カフェの「カフェギャラリー るふな」になっている。



花冠。香取市佐原イ1902。2003(平成15)年7月20日

まぎのやの隣は、現在は「あぶり餅」の暖簾を出している「花冠」と、炭などを売っている店名不明の店(荒物店?)の2軒が入る大きな蔵造りの家。建物についてはネット検索では「かつて洋品店だった町家を改装し(茶屋花冠が)2012(平成24)年にオープン」「旧三好屋」といった断片が拾えただけ。三好屋という洋品店だったのだろうか。

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中村屋乾物店。香取市佐原イ1902
2003(平成15)年7月20日

香取街道の忠敬橋のすぐ東、つまり本宿側にある重厚な蔵造りの商家。1992(平成4)年に県の指定有形文化財になっている。以下、『千葉県>千葉県教育委員会>中村屋乾物店』から引用する。
中村屋は江戸時代の創業以来の乾物商。屋号は香取郡多古町(たこまち)中村の出身であることにちなんだものという。
店舗は、1892(明治25)年12月に発生した大火後に建築された。完成は1894年頃らしい。この時の火災は協(かなえ)橋(現忠敬橋)を中心に 1,200 棟の家屋が焼失した。そのため佐原では防火を意識して、土蔵造りの建物が多く建てられた。中村屋の壁は1尺5寸(45cm)である。間口は3軒で、1階は畳敷と通り抜け土間のある店構え、2階は屋根裏を表した倉庫になっている。1階の正面は揚戸と土間の建て込み、2階は観音開きの土戸。
店舗の裏に文庫蔵があるが通りからは見えない。文庫蔵は店舗から1間程離れて建つ3階建ての建物。1階と2階は明治18年(1885)の建築、3階は店舗とともに明治25年(1892)の大火の前の形で再建されたもので、2室続きの座敷になっている。そこが居間である。
店舗2階の土戸は日中は開けているらしいが、そのため壁の厚さが観察できる。戸の内側に「諸国乾物類」「松魚節」「勝男節」「祝儀道具」と書かれた木の看板がはめてある。
暖簾や雨どいに〇に平のマークがついているが、どこから来たものなのだろう。
小野川と佐原の町並みを考える会>東日本大震災からの復旧』によると、2011年の東日本大震災では「店蔵造りの店舗は大棟全体及び背面の屋根瓦等破損、正面2階東側に大きな亀裂、1階下屋部の両脇にも亀裂と傾き」「文庫蔵にも壁面の亀裂や屋根瓦の損傷」して、屋根瓦の全面葺き替え、亀裂の補修、雨戸の取り換え等の工事を行い、2012年に修復修理が完成した。

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馬場本店酒造。千葉県香取市佐原イ614。2003(平成15)年7月20日

佐原には現在、馬場酒造と石毛酒造の2軒の酒造所がある。「佐原の酒造りは、江戸初期の寛文年間(1661~73)に伊能三郎右衛門(伊能忠敬の先祖)が始めたとされ、その後次第に発展し、江戸中期(天明8年)には35軒にもなった。「関東灘(なだ)」といわれた所以である。」(『佐原の歴史散歩』島田七夫著、たけしま出版、1998年)。戦前までは7軒の酒蔵があったという。
馬場本店酒造と石毛酒造はどちらも新宿側の香取街道沿いにある。馬場酒造については『第2章 香取市の維持向上すべき歴史的風致』というサイトに割と詳しいので、以下、それによって述べる。



馬場本店酒造。2003(平成15)年7月20日

馬場酒造は「天和年間(1681~1683)に初代が大和国(奈良県) 葛下(かつげ)郡馬場村から出て、佐原で糀(こうじ)屋を開いたことに始まり、5 代目の天保 13 年(1842) に酒造りを始めている。江戸後期には味醂、 明治期には醤油醸造も始めたとも言われる」「現在は、清酒・焼酎・味醂を製造販売している。清酒「清正」「雪山」、 味醂では「最上白味醂」などの銘柄で知られる。なお、当家にはある 時期勝海舟も逗留したとも伝わり、 そのことに因んだ「海舟散人」といった銘柄も販売されている」。



馬場本店酒造。2003(平成15)年7月20日

「江戸期から明治期にかけての建築物が多いが、年代が明確なものとしては、米蔵・機関蔵が慶応 2 年(1866)の建築である」「東日本大震災で屋根等の破損があったこともあり、その後修理を実施している。その先に見える煙突は高さが13mほどあるもので、明治 31 年(1898)の建築である」「酒蔵などは奥にあるが手前にある物置や倉庫などについては、見学が可能となっている」。
『第2章……』には建物配置図と各建物の構造、建築年代の表が載っているが、建物名(母屋、精米所、米蔵・機関蔵、本蔵、アルコール部屋など)と写真との対応が難しいので、それは省略する。



馬場本店酒造隣にあった家。香取市佐原イ614。2004(平成16)年4月22日

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小堀屋本店別館。千葉県香取市佐原イ507。2003(平成15)年7月20日

香取街道の忠敬橋の西、福新呉服店の隣に建っている銀行だったRC造の建物。撮影時は玄関の上に「小堀屋本店」の看板が挙げられていたが、横丁との角近くのポールにはまだ看板が設置されていなくて、開店の準備中と思える。小堀屋本店は福新呉服店隣の蕎麦屋。客を外で待たせることが多いので、混雑緩和のためこのビルを借りたのだろう。今、ストリートビューを見ると小堀屋本店は別館から撤退している。2016年頃のことらしい。
Paper Garden>旧千葉合同銀行佐原支店』によると、昭和4(1929)年に「千葉合同銀行佐原支店」として建てられた。昭和18(1943)年に、千葉合同銀行は他の銀行と合併して千葉銀行になり、建物はそのまま「千葉銀行佐原支店」として使われる。昭和49(1974)年、「第百生命佐原支店」に替わる。平成12(2000)年、第百生命は破綻した。

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小堀屋本店、福新呉服店。千葉県香取市佐原イ505。2003(平成15)年7月20日

香取街道の忠敬橋の西、正文堂書店の向かいあたりから西方向を撮った写真。街灯に「中央商店街」の表示板がある。
蕎麦屋の小堀屋本店の右が看板建築のように見えるが、今は小堀屋と同じような出桁造りの家になっている。ファサードのシャッターとトタンの壁を除くと今の家が現われるのだか、写真の家を建て直した家なのかが分からない。小堀屋の住居なのだろうか、その家の庇の下は縁台が出ていて、店に入るのを待つ客が腰かけている。改装されたのはいつだか知らないが2009年以前である。
千葉県>小堀屋本店店舗』には、「小堀屋本店の家業はもともと醤油醸造であったが、江戸時代中期の天明2年(1782)にそば屋を創業し、現在まで営まれている」「現在の建物は木造2階建て、屋根は桟瓦葺切妻造で、明治33年(1900)に建築されたが、江戸時代の店舗の形式をそのまま残した造りとなっており、外観は戸口、格子窓などが、内部も蔀戸、畳敷の床などがよく残っている」「同店に伝わる諸入費という記録によると、建築にあたった大工棟梁は梶取安右エ門で、工費は明治23年当時で571円であったと記されている。また、明治35年(1902)に、現在使われている入口のガラス障子2枚を入れたことも記録されている」とある。土蔵が明治23年(1890)築ということなので、「工費」は土蔵の方をいっているのかもしれない。



小堀屋本店、福新呉服店。2004(平成16)年4月22日

小堀屋の左の蔵造りの重厚な建物が福新呉服店。こちらも『千葉県>福新呉服店』の記述を書き写してしまう。「文化元年(1804)創業と伝えられる町家で、明治時代末期からは呉服商を営んできた」「店舗兼住宅は、明治25年(1892)の佐原の大火後の建築で、2階建ての店舗部分と平屋の住居部分で構成されている。1階は改造されているが、当初は後方に、通り抜け土間と座敷がある間取りであった。2階は建築当初のままの間取りで、2室の続き座敷になっている」「中庭を置いて、敷地の奥には明治元年(1868)建築の土蔵が建てられ、平屋の住居部分や中庭を囲む塀までの壁面を土蔵造としており、周囲から火が進入することを防ぐ構造となっている」などと説明されている。
平成16年に「佐原まちぐるみ博物館」という取り組みが老舗の女将さんを中心に始まり、福新呉服店がその第1号で、「タイムスリップ博物館」を称してる。展示室を設けて昔の道具などを見せたり、中庭までも入って建物を見ることができるそうだ。

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正文堂書店。千葉県香取市佐原イ503
2004(平成16)年4月22日

千葉県>千葉県教育委員会>正文堂書店店舗』によると、正文堂(しょうぶんどう)書店は「江戸時代から現在の場所で本の販売・出版を行ってきた店で、享保年間(1716~1736)にはすでに本の販売を行っていた」。建物は「構造は2階建て土蔵造で、屋根は桟瓦葺切妻造。大黒柱はケヤキ材、2階の窓は開き戸、さらに横引きの土戸に板戸と、三重にも防火設備を施した土蔵造の店舗で、重厚な雰囲気をもつ建物である。建築年代は、現存する棟札により、明治13年(1880)4月9日に上棟し、大工は高野友三郎、柳沢重蔵であることが分かる。……江戸の町家に用いられた黒塗土蔵造の店蔵の形式をよく伝えており、意匠、技術ともに県内の町家建築の中でも特に優れている」としている。
建物についている「小野川と佐原の町並みを考える会」贈の説明板には、「幕末期創業 本建築は明治時代の書店の形態を残し、本棚には欅材で和紙の本を展示できるサイズになっている。2階は倉庫を客座敷に改造し、3階を物置とした。建築地の地盤は道路より50cm程低い」とあり、ネットなどで得られる以外の情報を公開しているのが好ましい。



正文堂書店。2003(平成15)年7月20日

香取街道の忠敬橋からすぐ近くで、観光の中心部にあり、ひときわ注目度の高い建物である。東日本大震災では瓦が全部落ちてしまうなどの被害を蒙ったが、2013年4月には修復された。正文堂書店で使われている屋根瓦は幅の狭い「丸瓦」で、佐原地区でも珍しいという。
書店の営業を停止したのは2011年の東日本大震災以前のことらしい。
看板代わりの竜の彫刻は、商売とどう関連するのだろうか? 読書すれば竜のように偉大になる、というような中国の故事でもあるのだろうか。雨ざらしになっていたが、今はカバーされた。竜の上の店名の看板は、枠の飾りが失われている。

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デコール。千葉県香取市佐原イ526。2003(平成15)年7月20日

佐原銀座商店会の通りがその北端で県道2号(水戸鉾田佐原線)にぶつかる。佐原信用金庫本店が南西角にあり、写真はその交差点の北西角。写っている建物はいつ頃建てられたのかよく判らない。「デコール」もなんの店だったか分からない。現在は写っている建物はいずれも取り壊されて空地になっている。

下の写真は同じ交差点の北東角から県道沿いの家並み。写真左からヤシロ洋品店、店名不明、和菓子の大和屋である。ここから県道沿いに成田線の線路を越えて少しいったとこまでが「仲川岸商店会」の商店街になっている。「麻兆」(佃煮)、「山田」(うなぎ)、「ほていや」(和洋菓子)などの観光客向きの店が目立つ。国道は北向きにカーブして、線路を越えた商店街の北端あたりに古い看板建築が3棟並んでいるのが興味を引く。その先はまた、「第一商栄会」という商店街になる。
写真のヤシロ洋品店は今では取り壊されて、右の写真中央の建物が現在の店になっている。


ヤシロ洋品店。香取市佐原イ465。2003(平成15)年7月20日

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根本時計店。千葉県香取市佐原イ471
2003(平成15)年7月20日

佐原銀座商店会の通りの北よりのところ。上の写真手前右は「柳湯入口」の路地。この辺りの通りの両側に、料亭風の和食の店が集まっている。懐石・ふぐの「そう馬」、割烹の「寿茂登(すもと)」、寿し・天ぷらの「香取屋本店」、天ぷら・うなぎの「天清(てんせい)」など。小野川沿いの運送業・卸業の旦那方が商用で使ったのかと想像してしまうが、営業している時代が合わないかもしれない。
写真の看板建築は「根本時計店」だった建物。『日本近代建築総覧』に「根本時計店、佐原市佐原(現・香取市佐原)、構造=木、施工=地元大工、いわゆる看板建築」で載っている。
千葉県の近代産業遺跡>旧根本時計店』によると、昭和13年に建てられた。向かいの「石毛たばこ店」が倉庫として借りるようになってだいぶ経つそうだ。2013・14年頃に改装されてレンガ風の壁に替わり、今は写真の面影はない。

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