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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




銀月。墨田区墨田3-12。2019(平成31)年3月2日

玉の井に赤線があった頃に「柳通り」と言われた路地のような裏通り。3棟の戦前築の家が並んでいる。『玉の井 色街の社会と暮らし』(日比恆明著、自由国民社、2010年、2800円)の地図によれば、左手前が「八重菊」と「福助」というカフェーだった長屋。正面が4軒のカフェーが入っていた長屋で、その側面。その右が「ホームラン」というカフェーだった一軒家。
四軒長屋のカフェーは「銀月、うきよ、クモタ、あずま」である。その入口は上写真で八重菊と四軒長屋の間の路地を入っていかなければならない。その路地の写真が下の2枚で、奥は突き当り。目当ての豆タイルを貼った円柱が見える。今ではこれだけはっきりしたカフェーの遺構は何軒も残っていないだろう。
キューピーさんのコメントによると作家の清水一行(1931-2010年)の父親が「あずま」を経営していたという。『g2(ジーツー)』(講談社)という雑誌の2011年9月号に黒木亮という人が「兜町の男 - 清水一行と日本経済の興亡」という記事を載せていて、そこからの引用で『ウィキペディア』に、カフェーを開く経緯が書かれているが、詳しいことはよく判らない。「いろは通りから行くと花街の入り口近くにあり、上玉の女給7、8人を使って繁盛した」とあるが、場所があずまとは結び付かないうえ、女給7、8人を置くほどの大きさではないように思える。あるいはほかにも開業していたのだろうか?


カフェーが4軒入っていた四軒長屋。墨田3-12。2019(平成31)年3月2日

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カフェー 八重菊、福助。墨田区墨田3-12。2019(平成31)年3月2日

当ブログのコメントに、墨田区墨田の地区を中心に、特に玉の井についての貴重な情報を提供していただいているキューピーさんから、作家の清水一行について教えていただいた。なるほど、『玉の井 色街の社会と暮らし』(日比恆明著、自由国民社、2010年、2800円)の「玉の井出身の有名人」に載っている。また、『ウィキペディア』には玉の井との関連が述べられていた。清水一行の父親が経営していたカフェーはまだ残っているということなので、さっそく見に出かけた。

そのカフェーは、赤線があった時代に「柳通り」といった、くの字に曲がった路地のような道にある四軒長屋なのだが、ぼくは柳通りを歩くのは初めてだ。入り口からその路地を覗いても興味を引く建物が見えないし、柳通りという名称も知らなかったから、今まで入っていかなかった。今はその通りにあった古い建物のほとんどは建て替わっているのだが、数軒が残っているわけだ。
上の写真の家は波トタンで本来の外観を隠してしまっているが、奥に長い二軒長屋か三軒長屋らしい。『玉の井 色街の社会と暮らし』の地図に寄れば「八重菊」(建物の右側)と「福助」というカフェーだった。清水一行に関係する長屋は写真右の鉄板貼りの家。
赤線廃止後はカフェーの多くが飲み屋やバーに転業した。八重菊は1968年の住宅地図に「バーマリモ」と記載されている。

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名倉荘。墨田区京島1-22。2010(平成22)5月6日

曳舟たから通りの、京島二丁目交差点(四ツ目通りと交わる)の1本北の横町を西へ入った所にモルタル壁のアパートがあった。1階は町工場のような造りだから、そこはなにかの製作所だったようだ。写真右の4階建てのマンションは「寺島精機マンション」。以前は「寺島精機」という会社の工場があった。
現在は寺島精機マンションと共に「アーデル曳舟パークビュータワー」(2012年8月築、7階建28戸)というマンションに建て替わっている。
写真手前はたから通りと平行な路地との四つ角。そこを北へ行くと80m程で右へ曲がり、たから通りへ出る。南へ行くとクランク状に曲がって四ツ目通りへ出る。道筋が微妙に曲がっていて、川の跡かと疑われる。



きそば旭屋。京島1-22。2016(平成28)年6月12日

1枚目写真の横町を左奥へ行くとたから通りの旧道に出る。その角に古い家があり、やはり永くやっているそば屋がある。ネットで見ると、メニューがほとんど定食屋のようである。そばじゃ足りないという人でも大丈夫だ。

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奥村電機。墨田区京島2-26
2013(平成25)年4月11日

曳舟たから通りは十間橋通りとの交差点(たから十間橋交差点)のすぐ北で、たから通りとほぼ平行にその南を通ってきた旧道と合わさる。写真はその旧道で、写真奥でたから通りに出る。古い三軒長屋が残っている。その真ん中が「奥村電機」と「CORONA」の看板を出している。電話帳では冷暖房設備工事の会社らしい。その両側は住居だ。
三軒長屋の左の白い看板建築風の家は、今は住居のようだ。その左は駐車場だが、1964年の住宅地図ではそこが「昌和シネマ」。映画館だとは思えないが気になる。

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中村洋傘雨衣店。墨田区京島2-27。2013(平成25)年4月11日

キラキラ橘商店街の南端、東武亀戸線の踏切際に建つ三軒長屋。左と真ん中の2軒が「新友寿し」のようだが、この店はネットには出てこないので営業はしていないのだろう。「中村洋傘雨衣店」は閉店して久しい感じだ。看板には「各種祝額調製」とも書いてある。店主は趣味で絵を描いていたのかもしれない。この店の線路に向いたトタンの壁に傘のマークが付いている(Kai-Wai 散策>カサツキトタン家)。
踏切りの東側、三軒長屋の横になるが、「十間橋通駅」があった。1945年5月に使われなくなり、1946年12月に廃止されている。
三軒長屋の左は路地が入り、その左は現在「京島まちづくり事業用地」の空地。その空地のさらに左は真新しい住宅が3軒並んでいる。その住宅になったところには、以前、四軒長屋があった。『 Kai-Wai 散策>陽炎町京島 (8)』に記録されている。1985年の地図では「イナデンキ、八千代クリーニング、住居、どか弁」。

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中野衣料品店。墨田区京島2-23。2013(平成25)年4月11日

キラキラ橘商店街だが曳舟たから通りの南側。たから通りの南の旧道との角にあるのが「中野衣料品店」。だいぶ以前に閉店してしまったようだ。古い二軒長屋を看板建築にした建物だが、看板建築に改装したのは戦後のことだろう。看板には「シャツ/作業着/ジャンバー」とある。jumperだから「ジャンパー」のはずだが、ジャンバーという人も多いのだろう。どちらにしても最近はあまり聞かない。



松本雑貨店、小山園。京島2-23。2016(平成28)年6月12日

中野衣料品店の隣は「小山園(小山茶店)」と「松本雑貨店」。この2店は正面が異なるが二軒長屋である。看板は「松本履物店」だが、今は荒物屋で鍋や箒を売っている。街路灯は2015年に新しくなったLED街路灯。

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上:辰巳不動産、タカラ文具菓子店
左:武田印舗、飯田理容
京島2-24。2016(平成28)年6月12日

京島の「キラキラ橘商店街」はよくテレビでも紹介され、昭和の街並みを残すレトロ商店街としても有名である。とはいえ、やはり廃れ気味でかつての勢いを喪失しているのは多くの商店街と同様だ。この商店街はとにかく長い。北の明治通りからは曳舟たから通りまで350m。商店街はたから通りを渡ってまだ続き、東武亀戸線の踏切まで全長470m。
たから通りから南の商店街は、わりと最近まで戦前から建つ商店がけっこう残っていたと思われるが、最近はそれが住宅やアパートに替わってきている。
2枚目写真がたから通りの南の旧道の辺りからたから通りの方を見た街並み。今は外灯が替えられている。手前から「北山米店、豊誠堂 武田印舗、飯田理容」。この3店は三軒長屋が建て替わったものらしい。1968年の住宅地図では「清水商店、武田、モリヤ靴店」。
その右が1枚目写真の洋風看板建築の二軒長屋。「タカラ」は子供相手の駄菓子屋のようだ。二階の壁にかすかに残っている字は「米店」?

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四軒長屋。墨田区京島2-20。2004(平成16)年1月24日

曳舟たから通りの、キラキラ橘商店街との交差点からすぐ東にある洋風の看板建築にした四軒長屋。店は左から「㈱エイユー、千代田不動産、お茶処 いいやま、住居」。「エイユー」は以前は八百屋だか果物屋(大川青果)だった。



阿部建築設計事務所。京島2-20。2013(平成25)年2月10日

1枚目写真の右奥から撮ったもの。写真右の店は廃業しているが、1枚目の写真では「居酒屋 英花」。今は取り壊されて空地。
出桁造りの家は「阿部建築設計事務所」。ベランダの右が前に出ているのは、家の正面と通りとの間の三角になる敷地を埋めているからだ。四軒長屋も左に狭くなっていく三角形状の平面である。二階の軒下を漆喰の壁にしているのが珍しいかもしれない。



サイキ自転車店、スターワン。京島2-20。2013(平成25)年4月11日

1枚目写真から左へすぐのところで、写真左のビルはキラキラ橘商店街との角にある。三軒長屋のようだが、古い航空写真では左右へ伸びた五軒長屋だったように見える。1985年の住宅地図では右から「小松原ホーニング(写真では駐車場)、六谷青果店、中野商店(現・スターワン)、斉木自転車店、イロハ薬局」。

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平屋の長屋。墨田区京島2-21。2013(平成25)年5月5日

京島南公園の向かいを南に入った横丁から振り返った景観。右奥の木立が京島南公園のもの。平屋の長屋が2棟並んでいる。最近、手前の1棟が建て替わった。

下の写真は1枚目写真の少し奥から撮ったもの。こちらも平屋だが、昭和40年ごろに建てたと思われる作業小屋らしい。星野製作所という工作機械器具関連の工業所というから、冶具でも製作しているのかもしれない。建物横に旋盤かなにかで出たような切りくずが写っている。


星野製作所。京島2-21。2013(平成25)年5月5日



二軒長屋。京島2-23。2013(平成25)年5月5日

星野製作所の向かい側の長屋。元は三軒長屋で、左の1軒は建て替えられ、真ん中の1軒は二階前面を増築している。奥のクリーム色の壁は横山クリーニング店。

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加藤板金店。墨田区京島2-21。2004(平成16)年1月24日

曳舟たから通りと東武亀戸線の間を通っている旧道の京島南公園の向かい側。写真手前の加藤板金店から民家が2棟あり、奥の看板建築(横山クリーニング店)の手前に横丁が開いていて、そこを南へ行くと線路を超えて押上3丁目に続いている。現在も加藤板金店の建物は残っているが商売はとっくに閉まった様子だ。隣の家は建て替わっているが、他は変らない。

下の写真は上写真の加藤板金店の横の路地を入ったところにある民家。この辺りで庭付きの平屋の民家とはかなり珍しい。写真では玄関とその後ろしか写っていないがかなり大きな家である。写真右手にもう1軒、やはり大きな、庭付きの一軒家がある。


民家。京島2-21。2013(平成25)年5月5日

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