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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

オフステージ・138「野球部マネージャーの川島さん」

2020-06-28 15:08:50 | 小説・2

オフステージ(こちら空堀高校演劇部)138

『野球部マネージャーの川島さん』小山内啓介 

 

 

 一時間絞られた上に反省文を書かされて、やっと「帰っていい」と許可が出た。

 

「ジャンケンしろ」

 

 え、なんで?

 田淵も同じ表情をしている。生指部長の大久保先生が『そんなこともわからんのか?』という顔をして付け加える。

「一緒に出たら、またケンカするかもしれんだろうが」

「「あ、ああ」」

 声が揃って、それじゃと向き合う。

「「最初はグー! ジャンケンホイ!」」

 出したのは互いにパー。

「「あいこで、しょ」」

 今度はチョキ同士。

「「あいこで、しょ!」」

 今度はグー同士。

「「あいこで、しょっ!」」

 今度もグー同士。

「おまえら、ほんとは仲良し同士なんとちゃうんか?」

「「それはない!」」

 そのあと、二回やってやっとケリが付いた。

 田淵が先に出て、一分後にタコ部屋を出ることを許される。

 

 出て、驚いた。帰り支度をした生徒たちがゾロゾロ降りてくるのだ。

 おいおい、まだ五時間目が終わったとこだろーが……あ、そうだ、PTA総会があるとかで、六時間目はカットだった。

 教室経由で部室に行こうと思ったが、昼飯がまだだ。回れ右をして食堂に向かう。売れ残りのパンかうどんでも食って部室に行こう。

 ご飯系は売り切れなのでラーメンの大盛りをトレーに載せて奥の席に着く。

 箸立てに手を伸ばすと、放課後の悲しさ、割り箸が一つもない。

 ンガー

 怪獣みたいな唸り声をあげて配膳カウンターまで割り箸を取りに行く。

「はい、割り箸」

 おばちゃんがニッコリ笑って割り箸をくれる。愛想のいいおばちゃんだ。

 なぜか、おばちゃんの視線を感じながら席に戻る……え、向かいに美人の女子が座っている。

 あ、評判の野球部マネージャー、三年の川島さんだ。

 

 目が合うと、川島さんは招き猫のような仕草をして、前に座れと微笑みを返してくる。

 言われなくても座る、そこにはオレの大盛りラーメンがあるんだからな……て、川島さんの前にも大盛りラーメンがアンパン付きで置いてある。他のテーブルから調達したのか、ちゃんと割り箸は添えてある。

「さっきは、うちの田淵君が迷惑かけたわね、ごめんなさい」

 姫カットの前髪をハラリとさせて頭を下げる。

「え、あ、いや……」

 演劇部で女子の免疫はできているはずなのに、いきなりのことにおたついてしまう。

「あ、やっぱ、野球部はマネージャーでもしっかり食べるんですね(*´ω`*)」

「え? いやだ、わたしじゃないわよ。田淵君、こっち!」

 田淵も――ひっかけられた!――という顔をして観葉植物の横に立っていた。

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小説学校時代 23『中庭』

2020-06-28 08:35:48 | エッセー

 23 

『中庭』  

 

 

 校舎の無い学校はありません。

 プールもたいていの学校に備わっています。

 

 無さそうで、けっこうあるのが中庭が備わっていない学校です。

 

 中庭とは、校舎と校舎に挟まれた空間で、花壇やベンチ噴水付きの池や藤棚、ブロンズなどのオブジェが付属した憩いの場です。

 昼休みや休み時間は生徒の姿が絶えません。中庭はプールや体育館と同じくらい必要な施設だと思っています。

 中庭が無い学校というのは、校舎と校舎の間の空間が無い学校です。

 

 昔の大都市の小学校は、工程を囲んで『コ』の字や『L』の字に校舎が配置されているところが多くありました。

 花壇や生け垣は、校舎に沿って配置されるので、生き物係の活躍の場は校舎の縁でした。運動場側にも花壇が作られたりはしますが、基本的に校舎から運動場に出るための通過の場所で、憩いの場という感じにはなりません。

 校舎裏は塀と校舎に挟まれた長細い空間なので落ち着きませんし、管理が行き届きません。高校ではコンクリートで固めてしまって自転車置き場にしているところもあります。

 第二次ベビーブームの子たちが高校生になる八十年代に一棟式校舎が流行りました。

 並の校舎の倍ほどの幅があり、たいてい四階建てです。

 校舎の中央を幅広の廊下が貫いていて、廊下の南側が教室、北側に職員室や準備室が配置されています。

 一棟式の校舎の面白さは改めて書きたいと思います。

 一棟式の学校は、本校舎以外の主な建造物は体育館とプールしかありません。

 体育館やプールに挟まれた空間は中庭には不向きです。体育館のごっつい壁やプールの塀では雰囲気がありません。

 七十年前後に高校にも学園紛争の波が押し寄せた時、全学集会は体育館で行われましたが、不定期の生徒集会は中庭で行われました。

 真ん中に池があり、池の周囲には一学年くらいの人数が収まるプロムナードがあります。

 ここに大型ハンドスピーカーを持ち出した○○高校反戦反帝連合(連盟?)のメンバーが出てきて、アジ演説的スピーチを始めると、プロムナードに生徒たちが集まります。両側が校舎なので、校舎の窓にも人が集まり、ときに鈴なりとなって、中庭は絶好のパフォーマンス空間になります。

 年配の先生が「マリリンモンローがジョーディマジオと日赤病院に来た時みたいやなあ」とおっしゃたのが印象的でした。

 演説だけではもたないので、ギターを持ち出して、みんなで合唱し始めます。

『友よ』『翼をください』『今日の日はさようなら』『ウイシャルオーバーカム』とか、当時流行ったフォークソングというかプロテストソングというかを下校時間を過ぎた七時くらいまでやっていました。行き届いた学校で、中庭には水銀灯が二基備わっていて、その照明が、また雰囲気なので、ちょっとしたカルチェラタンでありました。

 回を重ねるにしたがって、演説の時間が減っていき、中庭はみんなで歌うための『歌の広場』になっていきました。

 大規模なものは半年ほどで衰退しましたが、 数人から十数人の『歌の広場』は、その後も続いていきました。

 これが、グラウンドや体育館、昇降口の前では続きません。

 中庭には、そういう雰囲気がありました。

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あたしのあした・37『ゴール!!』

2020-06-28 06:21:29 | ノベル2

・37
『ゴール!!』
      


 タンタンタンタンタッチャラタンタンタン! タンタンタンタンタッチャラタンタンタン! タンタンタンタンタッチャラタンタンタン! タンタンタンタンタッチャラタンタンタン! タンタンタンタンタッチャラタンタンタン!

 ダンス部のタヒチアンダンスから始まった。    

 どうせ適当に編集されてしまうんだろうから、補講を一つのライブとしてとらえ楽しくやろうと考えたのだ。

 惜しくも飯館女子に破れたけれども、早乙女女学院のタヒチアンダンスはスゴイ!
 クラシックダンスで言えばプリマドンナになるんだろうか、真ん中で一人だけオレンジ色の髪飾りとパレオを付けた子が一段と映えている。初めて観た時は、ただただ圧倒されてただけだけど、今回は少し余裕を持って鑑賞ってか、あたしたちも参加することができる。

 そーーーー参加なんだよね!

 浸かっているプールの水面がさざ波だっていると思ったら、補講女子たちが無意識に腰を振っている。
 ま、これくらいのノリがいいじゃん! と、あたしもいっしょに腰を振る。
 すると、いつの間にか智満子がセンターになってみんなをリードし始めている。
 あたしがフルボッコしてから欠席がつづき、復帰してからは、どこか遠慮がちだった智満子。
 それが、ごく自然に突き抜けてセンターに居る。
 そう言えば、このプールで初めてタヒチアンダンスに接したとき、感動のあまり爆発したみたいに大泣きしていたっけ。
 
 ステージ上のダンスがクライマックスになり、プリマドンナがジャンプして決めポーズになる。

 割れんばかりの拍手が起こって、ドッボーン!!

 あたしの後ろで派手な水音がした。
 なんと、みんながシンクロよろしく智満子をリフトアップしたのはいいけど、素人の悲しさで智満子を落っことしてしまったのだ。
 ステージとプールのそれぞれのフィニッシュに盛大な拍手が再び起こった。

 それからあたしたちの補講になった。

「今日は、水泳補講の最終日だ。フォームを直した後、五十メートル競泳をやるぞ!」
 水野先生が宣言した。
 今日は、それぞれの技量に合わせて自分で泳ぐ者、ペア同士でフォームを修正する者、まだ先生に手取り足取りしてもらう者に分かれた。
「別役、蹴りがちがう蹴りが!」
 ベッキー始め三人の子がいちばん遅れていて、足を掴まれて修正されたり太ももを叩かれたりしている。最初険しい目で見ていた姫野女史も、陽気な中にも真剣な補講に目の角を柔らかくしていった。プールサイドではダンス部と入れ替わった水泳部の子たちが応援をしてくれている。

 そして、いよいよ仕上げの競泳になった。

 十三人いるので、三組に分かれて発進する。
 慣れた順にいくのかと思ったら、そのへんはバラバラだ。
 折り返したころには上りと下りで少し混乱したけど、もう途中で足を着いてしまう者はいなかった。
 最後にベッキーが残ってしまいヘロヘロになりながらゴールを目指し、やっとゴールに着くと先生から「三分二十秒!」と声がかかった。タイムを言ったということは、泳ぎ切ったことが認められたということだ。やったー!

「先生、ゴール直前で足を着いてしまいました。もう一回やらせてください」

 ベッキーは正直に言ってしまった。
 そこまでしなくても……先生もあたしたちも、そう思った。
「みんなきちんとやったんです。あたしもやっておきたいんです」
 ベッキーの目は真剣だ。
「だてにお尻や太もも叩かれたんじゃないんです。叩いたんじゃないんです。でしょ……先生?」
「よし、別役、もう一度五十メートル!」
「はい!」

 ベッキーは飛び込みこそできなかったが、合図とともに静かに泳ぎだした。なんだかドーバー海峡を泳ぎ切るみたいに真剣だ。

 先生も一レーンを離れ、見守るように泳ぐ。
 一分を過ぎたところでターンした。一瞬見えたベッキーの顔は、それまでのパシリのベッキーではなかった。隣りに座っている智満子が自分のことのようにくちびるを噛んでいる。あたしは、この十三人が仲間に成りつつあると感じた。
 残り十五メートルのあたりから声援があがった。
 あたしたちだけじゃなく早乙女の水泳部もテレビのクルーの人たちも、まるでオリンピックの決勝のように声援してくれている!

 そして


 ゴール!!

 いつもの倍ほどの大声で宣言した先生の声は少し震えていたように感じた。

 ベッキーやったー!

 みんなも叫んだ。

 ところが、ベッキーはゴールタッチをしたまま沈んで、浮かび上がってこなかった……。
 
 

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プレリュード・13《嗚呼感動的卒業式》

2020-06-28 06:13:18 | 小説3

リュード・13
《嗚呼感動的卒業式》    



 

 今日のタイトルは、ちょっと難しい『ああ、感動の卒業式』と読みます。

 なんで、こんな中国の新聞のタイトルみたいに書いたかというと……まあ、読んでください。

 昨日の予行演習はチョロかった。やたらに起立・礼・着席の繰り返し。
 そして、成績表やら、同窓会入会の書類、学級費の清算(ただし書類だけ、お金は銀行振り込み。生徒がネコババせんように学校も考えています)その他細々とした書類をもらっておしまい。

 そして、今日は晴れて卒業式。

 正式には『卒業証書授与式』というらしい。なんだか、国語で言われた「無駄な言葉を積み重ねて感動を薄くする」の見本。『卒業式』と漢字三文字で書いた方が、感動的だと思う。
 U学院は私学なので、やたらと来賓が多い。その来賓の半分くらいが退屈この上ない祝辞を読む。分かる? 言うのではなくって読むの! ただでもオッサンらの話は退屈極まりないのに、それをダラダラ何人もにも読まれたら、これは拷問に等しい。予行では「ここで誰それさんの祝辞」と先生が言うだけだけど、今日はリアルにオッサンらが読む!

 総勢で2000人入る体育館はいっぱいだった。卒業生はもちろん、在校生代表で二年生の選抜(この子ら、ほとんど座ってるだけのエキストラ)保護者の皆さん方。あたし個人的には、高校にもなって卒業式にくることはないと思う。十八といったら選挙権だってある。経済的に依存してるいう以外は、もうほとんど大人だと思う。

 まあ、個人の自由だから、仕方がない……それにしても数が多い。卒業生の数より多いかもしれない。

 予行が無かったら、多少の感動はあったかもしれないけど、中身分かってるから気持ちが重い。
「ただ今より、令和元年度卒業証書授与式を行います。全員起立!」
 教頭先生のことばで、2000人が立つ気配。立つというささやかな行動でも2000となると迫力がある。

 さあ、立ったり座ったりの本番……と思っていたら、鳩がこそこそ近寄って来るみたいに、教頭先生が、あたしの横に来た。

「ちょっと、来て」
 目立たんように、会場の奥へ。そこで、とんでもないことを頼まれた。
「答辞読むYさんが、体調不良で保健室行ってしもた。加藤さん、代わりにやってくれへんか?」
「え、あたしがですか!?」
「うん、あんた一昨日学校に来て、思い出に涙してたて、校長さんらが言うてるねん。あんたの思いでええから、三分間ほど喋ってもらえへんやろか?」
「あ、あのう……」
「ほな、頼んだで!」
 ろくに返事も聞かんと教頭先生は行ってしまった。

 在校生代表の送辞は、もう始まっていた「桜の花の香る三年前の四月に、先輩方は期待に胸を……」と、棒読みを始めていた。で、あっと言う間に、終わってしまった。
「卒業生答辞、加藤奈菜!」
 まるで、あらかじめ決まってたみたいに大きな声で教頭先生。

「……一昨日、わたしは一人で学校に来ました。それは、ほとんど衝動でした。予行、卒業式とあわただしく高校生活に幕を下ろす前に、わたしなりに、この三年間を噛みしめておきたかったからです。こんな衝動は、小学校でも中学校でも思うことはありませんでした。これは、わたしが、それだけ大人に近づいたことと、学校生活への愛着が大きいからです。そういう愛着の持て方ができるほどに成長したからです。これは、わたし一人の力で勝ち取ったものではありません。諸先生方、保護者の方々、そして卒業されていった諸先輩がたの薫陶があったればこそのことだと、一昨日思い出がいっぱい詰まった学校の中庭でしみじみ感じました。正直全てが上手くいった三年間ではありません。先生を困らせたり、友達と仲たがいしたり……その多くは、今日の感動、みなさんの暖かく、かけがえのない思い出に昇華していきました。でも、そんな感傷だけでは済まないことも、まだまだあります。なにも今日でなくてもいいんです。時間をかけて、お詫びをし、感謝をしていけばと思います。そして、それは、ただの言葉であってはいけません。U高校の卒業生として、恥ずかしくない行動で示さなければなりません。あえて卒業式では長く封じられてきた言葉で表現します『身を立て名を挙げ、やよ励めよ』であります。この言葉は俗な立身出世を言ったことばではありません。一人前の大人として、世に立つことだと思います。一日本国民として、また、人によっては二つの祖国を背負い、迷いながらも前に進んでいくことだと思います。具体的に申しますと進学先、就職先で、留学で本校に来たものは自分の国で、足手まといになりながらも自分を育てていくことだと思います。間違いながら進んでいきます。間違いから学び、新しい自分を、おおげさに言えば世界をつくっていきます。先生方や保護者の皆さん方も、そうやって今日の自分と家族、街、国、世界を創ってこられたことと拝察いたします。一つ気がかりなことがあります。入学した時よりもわたしたちの人数は二十人ほど減っています。みんなそれぞれ事情があって、この学校を去っていきました。わたしは、その一人とはいまだに親交があります。三年間を同じ学び舎で全うすることはできませんでしたが、この人たちも大事な仲間です。場所は違いますが、同じ人生、いっしょに進んでいきたいと思います。最後になりますが、三年間、わたしたちを見守ってくださった先生方、学校の職員関係者の方々、保護者のみなさんに満腔の感謝の意をささげ、答辞とさせていただきます。令和二年、卒業生代表・加藤奈菜」

 よくもまあ、これだけの口から出まかせを言えたもんです。我ながら立派な元演劇部!

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