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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

プレリュード・13《嗚呼感動的卒業式》

2020-06-28 06:13:18 | 小説3

リュード・13
《嗚呼感動的卒業式》    



 

 今日のタイトルは、ちょっと難しい『ああ、感動の卒業式』と読みます。

 なんで、こんな中国の新聞のタイトルみたいに書いたかというと……まあ、読んでください。

 昨日の予行演習はチョロかった。やたらに起立・礼・着席の繰り返し。
 そして、成績表やら、同窓会入会の書類、学級費の清算(ただし書類だけ、お金は銀行振り込み。生徒がネコババせんように学校も考えています)その他細々とした書類をもらっておしまい。

 そして、今日は晴れて卒業式。

 正式には『卒業証書授与式』というらしい。なんだか、国語で言われた「無駄な言葉を積み重ねて感動を薄くする」の見本。『卒業式』と漢字三文字で書いた方が、感動的だと思う。
 U学院は私学なので、やたらと来賓が多い。その来賓の半分くらいが退屈この上ない祝辞を読む。分かる? 言うのではなくって読むの! ただでもオッサンらの話は退屈極まりないのに、それをダラダラ何人もにも読まれたら、これは拷問に等しい。予行では「ここで誰それさんの祝辞」と先生が言うだけだけど、今日はリアルにオッサンらが読む!

 総勢で2000人入る体育館はいっぱいだった。卒業生はもちろん、在校生代表で二年生の選抜(この子ら、ほとんど座ってるだけのエキストラ)保護者の皆さん方。あたし個人的には、高校にもなって卒業式にくることはないと思う。十八といったら選挙権だってある。経済的に依存してるいう以外は、もうほとんど大人だと思う。

 まあ、個人の自由だから、仕方がない……それにしても数が多い。卒業生の数より多いかもしれない。

 予行が無かったら、多少の感動はあったかもしれないけど、中身分かってるから気持ちが重い。
「ただ今より、令和元年度卒業証書授与式を行います。全員起立!」
 教頭先生のことばで、2000人が立つ気配。立つというささやかな行動でも2000となると迫力がある。

 さあ、立ったり座ったりの本番……と思っていたら、鳩がこそこそ近寄って来るみたいに、教頭先生が、あたしの横に来た。

「ちょっと、来て」
 目立たんように、会場の奥へ。そこで、とんでもないことを頼まれた。
「答辞読むYさんが、体調不良で保健室行ってしもた。加藤さん、代わりにやってくれへんか?」
「え、あたしがですか!?」
「うん、あんた一昨日学校に来て、思い出に涙してたて、校長さんらが言うてるねん。あんたの思いでええから、三分間ほど喋ってもらえへんやろか?」
「あ、あのう……」
「ほな、頼んだで!」
 ろくに返事も聞かんと教頭先生は行ってしまった。

 在校生代表の送辞は、もう始まっていた「桜の花の香る三年前の四月に、先輩方は期待に胸を……」と、棒読みを始めていた。で、あっと言う間に、終わってしまった。
「卒業生答辞、加藤奈菜!」
 まるで、あらかじめ決まってたみたいに大きな声で教頭先生。

「……一昨日、わたしは一人で学校に来ました。それは、ほとんど衝動でした。予行、卒業式とあわただしく高校生活に幕を下ろす前に、わたしなりに、この三年間を噛みしめておきたかったからです。こんな衝動は、小学校でも中学校でも思うことはありませんでした。これは、わたしが、それだけ大人に近づいたことと、学校生活への愛着が大きいからです。そういう愛着の持て方ができるほどに成長したからです。これは、わたし一人の力で勝ち取ったものではありません。諸先生方、保護者の方々、そして卒業されていった諸先輩がたの薫陶があったればこそのことだと、一昨日思い出がいっぱい詰まった学校の中庭でしみじみ感じました。正直全てが上手くいった三年間ではありません。先生を困らせたり、友達と仲たがいしたり……その多くは、今日の感動、みなさんの暖かく、かけがえのない思い出に昇華していきました。でも、そんな感傷だけでは済まないことも、まだまだあります。なにも今日でなくてもいいんです。時間をかけて、お詫びをし、感謝をしていけばと思います。そして、それは、ただの言葉であってはいけません。U高校の卒業生として、恥ずかしくない行動で示さなければなりません。あえて卒業式では長く封じられてきた言葉で表現します『身を立て名を挙げ、やよ励めよ』であります。この言葉は俗な立身出世を言ったことばではありません。一人前の大人として、世に立つことだと思います。一日本国民として、また、人によっては二つの祖国を背負い、迷いながらも前に進んでいくことだと思います。具体的に申しますと進学先、就職先で、留学で本校に来たものは自分の国で、足手まといになりながらも自分を育てていくことだと思います。間違いながら進んでいきます。間違いから学び、新しい自分を、おおげさに言えば世界をつくっていきます。先生方や保護者の皆さん方も、そうやって今日の自分と家族、街、国、世界を創ってこられたことと拝察いたします。一つ気がかりなことがあります。入学した時よりもわたしたちの人数は二十人ほど減っています。みんなそれぞれ事情があって、この学校を去っていきました。わたしは、その一人とはいまだに親交があります。三年間を同じ学び舎で全うすることはできませんでしたが、この人たちも大事な仲間です。場所は違いますが、同じ人生、いっしょに進んでいきたいと思います。最後になりますが、三年間、わたしたちを見守ってくださった先生方、学校の職員関係者の方々、保護者のみなさんに満腔の感謝の意をささげ、答辞とさせていただきます。令和二年、卒業生代表・加藤奈菜」

 よくもまあ、これだけの口から出まかせを言えたもんです。我ながら立派な元演劇部!


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