六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夢を言葉にしてみる 最近のものから二題

2022-11-13 14:41:02 | ポエムのようなもの

  
 
 ひとつ手前の駅でも もう・・・・

あまり人っ気のない電車のベンチシート
端っこに座ってたら 途中の駅から
淡い色のフード付きコートの女の子
ためらわず隣にやってきた

フードの中から見上げる
鳶色の瞳が瞬きもせずいう
オジサン センソウノ テマエノ 
エキマデ ツレテッテ

自分の行く先の ひとつ向こうの駅だったが
すぐ引き返せるからと 連れていった
そんな きれいな こーとでは
すぐ よごれて しまうよ

イイノ モウ センソウノ サキブレガ ヤッテキテ
ミエナイケレド ヨゴレテシマッテ イルンデスモノ

いっしょに降りたら
白い手を ひいらひいらさせて
少女は行ってしまった
硝煙の匂いが残ったようだ

引き返さねばと ホームへと急ぐ
七つの階段 昇ったり降りたり
四つの地下道と三つの高架 行ったり来たり
ホームには行き着けない

着ていた衣服に 染みができた
どす黒い不定形な 模様が 浮き出る
胸にも 袖にも 背中にも 拡がる
汚れ よごれ ヨゴレ YOGORE

センソウが電車に乗ってここまで来たのか
センソウを乗せてきた電車の
運転席の運転手 指差し確認怠りなく
発車オ~ライッと 朗々と叫ぶ

ああその声ときたら こんなにしゃがれる前の
若かった頃のあの声 まぎれもない私のあの声
♪あああああのかおであのこえで
https://www.youtube.com/watch?v=uGv7yjSH3Fc&t=52s


  
 
 繭からは出たけれど

サア ワタシトスモウヲ トルノヨ
黒いシャツに白い短パンのきなこが言った
行司はかんざぶろ
スピルバークの描く未来人のようにスリム

昨日まで 薄い褐色の 繭のなかにいた
出してくれ といったら 二人が出してくれた
思い出した そのとき約束したのを
出たら きなこと相撲をとるのだった

四つに組んでも 掴みどころがないきなこ
少し引いたので ここだと右足を出したら
柔道の 内股のような技で
背中から ドスンと落とされた

コレデ アナタハジユウヨ サアユキナサイ
行きなさいって とくに宛もないし
いっしょに いさせては くれないか
きなことかんざぶろ 顔を見合わせる

デキナイワ ワタシタチニハ ニンムガアル
きなこは 周りを指し示した
そこは キウイの畑のように
多くの繭が ぶらり~っと垂れ下がっていた

コレヲ アケルノガ ワタシタチノニンム
デテキテ スモウニ マケタラ
ココカラ タビダツノガ アナタタチノサダメ
二人は 霧の立ち込めた 彼方を指差す

もし 相撲に 勝っていたら と私
ワカラナイワ ワタシマケタコトガ ナイカラ
かんざぶろも ぎょうぎょうしく うなずいた
旅立つしか なさそうではないか

歩を進めると 昨日まで入っていた繭が
修復されて また ぶら下がっていた
なかに 入っていたのは 
胎児のように 背を丸めた かつての私

単純な セオリーで 編まれている繭
全部が わかってしまう 安心の繭
しかし それは 偽りの 安心
変わりゆく 現実に 嘲笑される安心

去ろうとする私に
かつての私は すねたように 微笑む
自由への恐怖って むかし きいたろ
1950年代の 後半だっかな・・・・

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キムタクに市民栄誉賞? 栄誉賞ってなんだろう。

2022-11-09 16:35:50 | よしなしごと

 私自身が岐阜市民だから、興味の有無に関わらず、ぎふ信長まつりのキムタクが信長に扮した騎馬武者行列のフィーバーぶりについて多少触れてきた。それが終わって数日経つが、ざわめきや余波はまだまだあるようだ。

  
 
 その一つが、キムタクに岐阜栄誉市民章をという案が出ているということだ。「何を馬鹿なことを」と一蹴してしかるべきだと思った。しかしである、しかし、岐阜の市民栄誉賞に限らず、各自治体の栄誉賞、いや、国民栄誉賞も含めて、一体どんな基準で選ばれているのかが改めて気になった。
 
 最近の岐阜市民栄誉賞を検索したところ、以下のようだった。
2021年3月 福島由紀・廣田彩花さん
 「フクヒロペア」として第110回全英オープンで優勝。東京2020オリンピックバドミントン女子ダブルスにおいて5位入賞。
2021年11月 松原梨恵さん
 東京2020オリンピック新体操団体総合で8位入賞。ロンドン、リオデジャネイロ大会に続き、3大会連続入賞。
2022年7月 村瀬心椛さん
 北京冬季オリンピックスノーボード女子ビッグエアにおいて、冬季五輪では日本女子最年少メダルとなる銅メダルを獲得

  

 ウ~ンと唸ってしまった。私のような岐阜市民も、そしておそらく一般の岐阜市民も、彼女らの活躍時に新聞などの岐阜地方版に載ったことで岐阜出身であることを知ったのがせいぜいで、私なんかはその事実もよく知らず、彼女らが受賞したことも知らなかった。それほど印象に残らない市民栄誉賞だといえる。

 もし、市民栄誉賞が岐阜市民の一般的抽象的な栄誉のみではなく、功利的にいって岐阜市に大きく貢献した実績をも含むとすれば、キムタクもまた、それに値するのではと思う人たちが出てきてもまったく不思議ではない。

              
      通常の金華橋通り 横断歩道でもないところを渡れてしまう
 

 数十万人の人出を誘い、推定経済効果38億円を叩き出したのだから。この際、岐阜の名誉市民賞を与えておけば、今後も観光大使として岐阜に貢献してくれる可能性も見込めるかもしれない。

 私はその行列を観に行かず、地方局の実況を観ただけだが、普段は信号や横断歩道のない場所でも、平気で横切れてしうようなあの金華橋通り(片側三車線 一部四車線 戦前は「凱旋通り」、戦後は「平和通り」と呼ばれていた)をあれだけの人並みで埋め尽くしたのはおそらく空前絶後であろう。
 まあ、いずれにしても勲章騒ぎとは縁の遠い私のことだから、どうでもいいのだが・・・・。

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【無題】

2022-11-08 00:07:38 | よしなしごと

        

 昨日、「岐阜信長まつり」の騎馬武者行列でキムタクが信長に扮して闊歩し、46万人の観客を沸かせたたまったく同じ通りを、所要のため、ほとんど同じ時間帯に通りかかった。

 誰も、「キャー」とも「ヒャー」とも、「スー」とすらいわなかった。岐阜の人間は差別主義者が多いと悟った。

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【シンプル・イズ・ベスト】の昼麺と文科省の図書館への指示

2022-11-05 16:13:50 | フォトエッセイ

【シンプル・イズ・ベスト】生ワカメとアゲ、それにやや多めの薬味用ネギの小口切りのみのウドン。出汁は愛知の白醤油をベースにしたもの。ウドンによく合う。ちょっとひと手間は、アゲは出汁より少し濃い目の味付けで予め煮てから乗せているところ。

 

 
「公共図書館などでは拉致問題に関する図書をもっと置くように」との文科省からの指示にたいし、情報や思想の統制であるとの批判が出ていて、それはそれでそのとおりだが、この指示にはもっとひどい面がある。
 
 それは、まさにその拉致問題についてなのだが、安倍以来、「わが国の最重要課題」としながらも実際には何の成果も上げていないことを、この指示はそれをあたかも国民の認識不足がその原因であるかのように責任転嫁をしている点である。
 
            
 むしろ解決を妨げているのは自公政権の方なのだ。一方ではアメリカの尻馬に乗って北への懲罰的な経済制裁を強化し、日米韓の北を敵に見立てた軍事演習に参加し、北基地をも対象とした先制攻撃用の軍備増強をしながら、「拉致被害者を返せ」と要求し、その交渉のテーブルにつくことを要求しても、応じるはずはないではないか。
 「その進展は?」との問には、それを話すと進めつつある内輪での対応を損ねるからと回答を拒否して来たのが安倍であり岸田だ。これはていの良い「何もしてこなかった」ことの煙幕に過ぎない。
           
 今回の公共図書館での拉致問題に関する書を置くことへの指示、これは拉致の解決への道筋ではなく、ほら、「北はこんなに悪いことをしてるでしょう、だから軍備を強化して先制攻撃も可能なようにしなければならないのですよ」というキャンペーンが本音だ。こうした憎悪の論理が解決をますます遠ざけることは言うまでもない。
 自公政権は、拉致被害者やその家族を一貫して食い物にしてきたと言わざるを得ない。
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岐阜信長まつりとキムタク&掲示板を観る少女

2022-11-04 17:39:17 | よしなしごと

 11月3日、昔でいえば明治節、今月始めて名古屋へ。
 最初の写真はその際のJR岐阜駅で撮ったもの。岐阜で一番のっぽの岐阜シティタワー(43階)。その足元にある黄金の像は、岐阜駅北口広場で周辺を睥睨するかの信長公の立ち姿である。

         

 そういえば、この、5、6日は「ぎふ信長まつり」で、例年行われる騎馬武者行列の信長役に今年は木村拓哉が扮するとあって、事前の人気はいつもになく高まっているようだ。
 観客、1万5千人を収容できる特別観覧席の入場者抽選には、全国から岐阜市の人口(約41万人)の2倍を遥かに超える96万人余の応募があったという。

         

 商店街など経済界は60万人の人出を予測し、39億円の経済効果を取らぬ狸の皮算用で予測しているが、一方で、ピリピリしているのは警備部門の担当者たち。ソウルであったあの事故の二の舞を防ぐために必死である。

 そのために、この市始まって以来の大交通規制を始め、JR岐阜駅や名鉄岐阜での利用や通路をを大幅規制したり、市街バスの運転を路線によっては全面休止にするなど、まさに非常事態に等しい規制ぶりである。

       

 私は、5日はワクチン接種で、翌6日は空いているが、出かけるつもりはサラサラない。この歳で、虫けらみたいに踏み潰されたらみっともなくって死にきれゃしない。

 3日の話に戻ろう。名古屋へ出かけたのだが、いつも使うのは地下鉄東山線だが、今回は行く先の関係で桜通線を用いた。これは東山線の下を走るので、地下のかなり深いところまで降りねばならない。
 行きは良かったのだが、帰り、名古屋駅に着いてからJRのコンコースに出る過程で迷ってしまった。

 上の案内表示には、JR線とあったのでその通り行ったのだが、一番遠回りのコースで、コンコース中央へ出るつもりが、名古屋駅地下の一番東のはずれまで行き、さらに北のはずれまで行って、中央コンコースではないところへやっと出られた。
 おそらく、当初予定していたコースより、確実に5分以上、下手をすると年寄りの脚での階段の上りの連続とあって10分近くは遅延したことになる。
  

  

 移動の途中、珍しく人気のない地下通路を通りかかった。ほとんど人気のない通りだったが、そこで見かけたのが小学校高学年くらいの少女。周りに保護者らしき人の姿も見えず、単独行動らしい。
 その少女が熱心に読んでいたのがこの掲示。私はそれを、かなり離れたところから気づいていたが、私がその子の背後を通り過ぎてもまだじっと見ていた。その間、多少は動いているから、どうやらこの掲示の右から左へと順に見ていったようだ。

 私自身はこの掲示には関心がなく、それを熱心に見ている少女の方に関心があったので、 顔を撮さない背後からならいいだろうと思って、この写真を撮ったのだが、それを撮り終えた頃に、少女は私の来た方角へ向かってその場を去っていった。

      
            帰路 木曽川鉄橋を渡ると岐阜県

 帰宅してから、この写真をPCで整理していて初めて気付いたのだが、この掲示の右側は「痴漢」と「盗撮」を注意するものだった。
 どうなんだろう、私の行為も「盗撮」に相当するのだろうか。私としては掲示を熱心に読む少女というそのトータルな構図に関心があって撮り、「後ろ姿」に限ったのだが、それでも着衣や靴、靴下などで特定できる可能性を捨てきれないということでアウトなのだろうか。

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赤い実の競演と映画『サンザシの樹の下で』の思い出

2022-11-02 15:06:48 | 映画評論
 
 出先で見かけた赤い実の競演。ナンテンとサンザシ。
 
 かつて観た『初恋のきた道』のチャン・イーモウ監督の映画、『サンザシの樹の下で』(2010)を思い出した。
      
 
 文革のなか、党幹部の息子である若者と、地方へ追放された娘との恋物語。固く誓い合ったはずの恋であったが何故か男は離れてゆく。そして・・・・。
 
     
 
 今思い返すと、チャン・イーモウなりのソフトな中国批判であったと気づく点がかなりある。文革もだがその核政策への問題点をも含んでだ。
 
     
 
 これを観たすぐ後、11年前に書いた映画そのもの記事は以下。
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いただいたバースディ・カードとトーマスさんのこと

2022-11-01 01:43:02 | 想い出を掘り起こす
 
 
 東京に住むお友だちから美しいバースディ・カードを頂いた。ケーキのフレア部分が立体的に立ち上がるようになっていて、面白い。
 
 思い返せばこういうものをいただくのはここ最近のことで、しかも全部彼女からだった。ようするに、私の文化圏には、こうしたもののやり取りがまったくなかったわけである。
 彼女とリアルにお目にかかったのは一度しかないが、そのきっかけになった事実には忘れがたいものがある。
 
 思い出すのは、はるばるフィラデルフィアから三日に一度ほどの割合で電話をくれたトーマスさん、正式にいうと、トーマス・グレゴリー・ソン(宋)さんのことだ。彼は、その名に片鱗がみられるように、朝鮮王朝の末裔として、戦中戦後を波乱のうちに生き、命からがらアメリカへたどり着き、フィラデルフィアを終の棲家とした。
 
 そのトーマスさんと最後に言葉を交わしたのが電話ではあったが私だった。彼は2014年12月3日(日本時間)、私との電話中に倒れ、そのまま還らぬ人となったからだ。享年85歳。
 その彼と、渡米中にフィラデルフィアで出会い、親交を結んでいたのが今回、バースディ・カードを贈ってくれた彼女であった。そんなこともあって、彼女の提唱でトーマスさんの葬儀に日本の有志からも献花をすることとなり、私がそれに応じることで彼女との友だちの絆が生まれた。
 
 その後、私は当時所属していた同人誌にトーマスさんの小伝のような一文を書いた。いま私は、当時と違う同人誌に朝鮮について書いている。その折、頭に浮かぶのはトーマスさんのことであり、彼の波乱の生涯である。
 
 そうしたこともあって、バースディ・カードを贈ってくれた彼女は私とトーマスさんを結ぶ鎹であるが、しかし、それをも超えて、いまは得がたい友だちだと思っている。
 Nさん、ありがとう。今後とも、よろしくお願いいたします。
 なお、トーマスさんに関する拙ブログでの記述は以下です。
 
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