六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ロンドン・パリ駆け足旅 覚書き 5 パリに移動!

2018-08-16 16:40:47 | 日記
第六日 8.6
 
 いよいよパリへ向けて発つ日だ ホテルより大英図書館を横目にセント・パンクラス駅へ徒歩で まずはポンドをユーロに替える



 
 飛行場の出国検査同様の手続きで延々待たされやっとユーロスターに乗車 ロンドンを少し離れれば農村地帯 やがて英仏海峡トンネル その間眠る トンネルを出た途端に目覚める やはり田園地帯だが微妙にイギリスとは様相が異なる バルビゾン派の絵画のような木立があったりする 


 
 パリ北駅到着 タクシー乗り場には長蛇の列 その周りを「タクシー、タクシー」と連呼して客を呼ぶ連中が 急ぐからといってこれに引掛ってはならないとネットにあった 最初の料金が高くしてあったり、遠回りをするなど悪質なのが多いのだそうだ 
 通りかかりのビジネスマンらしい人に尋ねてバス乗り場を教えてもらう ちょうど目的地のサン・ラザール行きのバスがあった 


  
 ホテルに着いたのが午後三時半過ぎだが、近くの探索に 初めて歩くパリの街だ ロンドン同様、伝統を感じる町並みだが微妙に違う 色彩感覚がパリのほうが明るいと言おうか建物が白っぽいのだ 壮大なオペラ座と帰途のためその横から出るドゴール空港行き直行バス(ロワシー)の乗り場の確認をする 

   
 
 朝食以来何も食べていないので、やや早い夕食に 白いテーブルクロスの店は格式が上で値段もそこそこ取ると聞いていたので、オープンカフェのような大衆レストランに アボガド入りサラダとよくわからない鶏肉料理を注文 もちろんワインも ソースやドレッシングが美味しい 値段もこちらの想定内 それならもう一杯飲んでもよかったと卑しい根性も

   

   
 
 腹ごなしに背の高い並木が感じが良いトロンシェ通りを歩きマドレーヌ寺院へ ギリシャのパルテノン風の寺院だが、整いすぎていささか無機的な感も それでも夕刻のひととき、三々五々憩いをとる市民たちや、周回ランニングで運動をする人たちで結構賑わっている  寺院前のちょっと変わったベンチで休憩しながら、そうした人々をウオッチング  
 しばらくしてホテルへ帰る
                     
【6.6キロ 11,071歩】
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ロンドン・パリ駆け足旅 覚書き  4  ピカソに逢う!

2018-08-16 13:49:22 | 日記
第五日目 8・5
 
 明日は移動日だからロンドンは実質これで最後 最後にふさわしい充実した日になったと思う


 
 まずは地下鉄でセントポール大聖堂へ とても壮大な寺院 持ち物検査だけですんなり入れたが、残念ながら撮影禁止 美しいステンドグラスがあったが、その近くや祭壇からは遥か離れたところからそれを見るのみ それはそうだろう 本来は信者たちの祈りの場、不信心者の観光客がドカドカとあるき回るほうがおかしい
 面白かったのは地下にあった男性用のトイレ、ステンレスの細長い流し台風のもので仕切りはないから定員もない 混み合ってきたらダークダックス状にするのだろうか
 ここは誰もいないのをいいことに撮影してきた それと寺院前で私の写真を撮ってもらったので思い切って載せる 思い切っていというのはパソコン通信以来の長いSNS経験のなかで、自分の写真は初公開だからだ

   
 
 セントポール大聖堂正面から南へ進むとテムズ川をまたぐ歩行者専用の橋、ミレニアム・ブリッジがある その渡った先がこの日のメイン・イベント、テート・モダン美術館である
 この美術館はパリのオルセーと似ている いずれも河畔のロケーションで、オルセーはかつての停車場を活用しているのに対し、テート・モダンはかつての火力発電所の構造を用いている
 したがって、中央に広く長い空間があり、その左右に展示室が広がるという様相は瓜二つといって良い




       
 
 この美術館は初日にパスしたナショナル・ギャラリーが古典的なものを中心に収集しているのに対し、1900年代以降のモダン・アートを収蔵している モンドリアンやピカソ、アンディ・ウォホールなどなどからさらにパフォーマンス性の高いものまでいろいろである



               
 
それらを一応は観た しかし私は気もそぞろである そうした常設展の他に、特別展としてピカソを展示しているのだ 「PICASSO 1932 愛と名声と悲劇の年」と題したそれは、文字通り1932年の彼の創作を1月から順に追ってゆくものだ
 常設展が無料なのに対し、この特別展は有料であったが躊躇することなく入った  
 1932年に限定した作品は数少ないのではないかという不安も完全に吹っ飛んだ この時代の彼はいわゆるシュルレアリズムの時代といわれ精力的に作品を描き続けたのだ そしてなんと、展示は1932年にとどまらず、おまけとして彼の「青の時代(1901~4)」のものも6点出品されていたのだ 




     
 ピカソ・ピカソ・ピカソ・・・・もちろんこんなにたくさんのピカソに出会ったのは初めてだ 
 ピカソ、ピカソという割にはそんなに詳しいわけではない しかし、1932年の作品群は割と淡彩的で軽やかで、躍動しているように思った 展示のタイトルにいう「愛と名声」はともかく「悲劇」はあまり実感できなかった

          

 ピカソに満腹して、6階のカフェ・レストランでワインと食事 ここのロケーションが最高だ 眼下に観光船が行き交うテムズを見下ろし、ミレニアム・ブリッジの先を辿れば先程見てきたセントポール大聖堂が、そしてその横に広がるシティの新しい建造物 ロンドンの懐の深さを視覚的に印象付けるにじゅうぶんな景観だ
 しばしの休息後、ミレニアム・ブリッジを再び渡ってセント・ポール大聖堂の横をかすめてイングランド銀行まで徒歩で 名も知らない街々の様相がそれぞれ面白い 迷うことんくイングランド銀行に かつて世界の金融の中心であった場所、その背後にはシティのビジネス街が広がっているはずだ でも、そこまで足を伸ばす元気はない

          


  イングランド銀行の前で、珍しい乗り物に 若者10人以上が全員で足漕ぎで進む人力推進バスでそれに乗った若者たちが大声でラップを歌いながら車を進める 伝統的なイングランド銀行の佇まいと若者たちの嬌声、その対比が面白い

 ホテルへ帰る 休息後夕食へ これまではパブ風のところで摂ったり、プレタ・マンジュ風のところで買ったサンドウィッチや簡単な料理、それにワインやビールのホテルへの持ち込みで済ませてきたが、最終日とあって始めてホテルのラウンジで 肉料理とサラダそれにワインをグラスで 小エビの入ったサラダはドレッシングもうまい 肉料理はタルタルステーキ風だが少し酸味が効いていて、肉のしつっこさを解消している 付け合わせのポテトがうまいし量も多い 赤のグラスワインを注文したのだが、この量がまたすごい これまでの店の倍は優にあり、フルボトルの4分の1ほどに相当するのではないか 
 別途支払ったが、それでいてこれまでしてきた大衆店の価格と比べてそれほど高くはない 十分満足した

【11.5キロ 18,317歩】
 



                      
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ロンドン・パリ駆け足旅 覚書き 2

2018-08-14 16:31:36 | 日記
第三日  8・3
 
 地下鉄でピカデリー・サーカスへ 
 近くの日本館(日本食材館)へ寄るが大して郷愁が湧くわけではない 
 徒歩でトラファルガー広場へ 

   

 眼の前にナショナル・ギャラリーがあったが、宗教画などがやたら多いと聞いていたので入らず、代わりにすぐ近くのナショナル・ポートレート・ギャラリーに入る これは大正解で面白かった ようするに英国歴代の著名人の肖像画で、シェークスピアもニュートンも、近くはチャーチルからダイアナ妃まである 音楽家ではヘンデルが バッハやモーツアルトはないのかと案内人に尋ねたら、そんなものあるかいナとにべない返事 やはり英国人オンリーのようだ 
 さて、下に出てくる英国の著名人の肖像、一人だけ後に米国に渡って名を成した人がいるが、英国にいわせればあくまでもおらが国の出身ということか

     
   
 
 近くのセントマーティンアカデミーの地下でギネスを飲みながら昼食 ここは学食や社食のように、これ、これと指差すものをトレイに乗せてくれて、その列の最後で会計というシステム 盛り付けなどはいささか乱暴だがうまくてしかもリーゾナブルな価格が良い


 
 ホテルへの帰途、初めて2階建てバスの二階最先端に乗る エアコン無しで暑いことこの上ないが、この高さから見下ろす景色は最高 トラファルガー付近は各バス路線のひとつの集結地と見えて、どちらを観ても二階建てバスがひしめいている



 一度ホテルへ帰り休憩してから、ホテル近くの大英図書館を経由してセント・パンクラス駅へ散歩
 大英図書館はマルクスが資本論を書き上げたところとして知られているが、実はマルクスが利用したのは大英博物館の図書室で、その後それらは現在地(セント・パンクラス駅の西)に統合され大英図書館となったものである


 
 ところで、セント・パンクラス駅であるが、え?なにこれ?なんでこの新ゴチック様式の建物が機能本位の鉄道の駅なの?隣の大英図書館の方がよほど駅らしいじゃん・・・・といった感じの威風堂々たるもの
 だが、中は機能的に作られていて、パリやブリュッセルなど英仏海峡トンネルを経由しての国際線の発着の場でもある
 駅ピアノでは、中年の紳士が、ポピュラーをジャジイにアレンジしたような曲を弾いていた 
 また、大時計の下には高さ9メートルという熱烈キッスの像があり、その熱烈ぶりはともかく、そのデカさに圧倒される


   

 
 実はここへ来たのは、最終日、ここからパリへ行くための発着場所や出国手順の下見を兼ねたものだったが、とても壮大で面白い駅である

【歩行距離9キロ 14,620歩】


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ロンドン・パリ駆け足旅 覚書き 1

2018-08-14 11:24:14 | 旅行
第一日  8・1
 中部国際~ヘルシンキ(約10時間)待ち時間2時間以上で乗り換え ロンドン・ヒースロー空港へ(約2時間) 

 

 地下鉄ピカデリー線、ラッセルスクェアで下車 ホテル、ヒルトンユーストンにチェックインしたのが現地時間の21時過ぎ

 

【歩行距離 4.5キロ 8,100歩】


第二日  8・2
 徒歩で大英博物館へ すでに述べたように収蔵品目500万点中常時展示品目は15万点 移動時間を考えず各展示品に1秒を要したとしても数日かかかる ロゼッタストーンなどこれはというものに絞って観る 
 
 タクシーでコヴェント・ガーデン地区へ ちょっと下町っぽい雰囲気の繁華街 『マイ・フェア・レディ』で、花売り娘のイライザとヒギンズ教授が出会う場所 

            
 
 お目当てはロンドン交通博物館 ここはロンドン市内の交通の状況を駕篭かきの時代から鉄道馬車、蒸気機関車、トラム、そして現在の2階建てバスを主としたバスと地下鉄網の時代への変遷を示す さほど広くないスペースをうまく使って展示している 



 外へ出てもともと市場であったという狭義のコヴェントガーデンを散策 さまざまな物品販売や飲食店がひしめき地下空間にはオープンな空間で人々が思い思いにくつろぐ
 大道芸人が達者な誘導で子どもたちの黄色い歓声を紡ぎ出す これは万国共通でとても良く分かる

    
           
 
 いったんホテルへ帰って休憩後、近くのユーストン駅を見学撮影

【歩行距離 10キロ 16,100歩】
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ロンドンで像に出会う 『Suffrage』(参政権)『未来を花束にして』(邦題)

2018-08-12 17:48:41 | 日記
 ロンドンやパリで撮ってきた写真を整理していてふと手が止まる一枚があった。
 
 イギリス議会前の広場に建つこの像、ご覧のような布を掲げて議事堂の方をキリッと見つめている。そしてその布には「Courage calls to courage everywhere」(勇気はいたるところで勇気に呼びかける)と書かれている。
 そうなのだ、今年は、イギリスに於いて女性が参政権を得てから100年目に当たるのだ。それを記念して今年建てられたこの像は、19世紀以来の女性参政権運動家、ミリセント・フォーセットのそれなのだ。

             
 
 私の記憶は一つの手がかりを捉える。
 そう、これに関連した映画『Suffrage』(文字通り参政権)、邦題は『未来を花束にして』を観ているのだ。この邦題が適切であるかどうかの論争もあった。
 
 私の日記によれば、昨年の2月24日に観たことになっている。
 映画は、このフォーセットが主人公ではなく(演説シーンぐらいはあったと思う)、それに賛同して男社会の抑圧や逆境の中で闘いを進める3人の女性活動家たちで、その真っ直ぐな意志と活動はまさに感動モノだった。

             
 
 私はその活動のまさに現地、そしてそのモニュメントの前に立ちながら、それと気付くことなく、写真からの連想でその歴史的意義にやっとたどり着いたのだ。

 なお、この議事堂前の公園にはガンジーやリンカーン、チャーチルなど11体の像が建っているが、女性像はこれが初めてだという。まさに彼女たちの活躍にふさわしいといえよう。そして、やがてこの広場の像の半分は女性になってゆくだろう。

 映画についての内容と感想は以下を参照されたい。

 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20170224









 
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全体を知るという壮大な意欲 大英博物館にて

2018-08-04 23:26:35 | 日記
 ロンドンでの見聞は、まずは大英博物館から。
 ホテルから15~20分の距離。ロンドンの市街をお上りさんよろしくなめつくすように眺めながら、歩を進める。伝統的なものがごく自然に街を形成していて、日本の都市のような無政府的なアンバランス感はない。

          

 開門早々に北側のいわば裏口からの入館。そのほうが空いているようだ。もともとの建物の構造は広い中庭をもったロの字型のものだったようだが、その中庭部分に円筒型の建物を作り、エレベーターなどの新しい施設を入れてある。

             

 もちろん、なんといってもその見どころは中味そのものだ。
 一般公開されてからも、すでに250年以上の歴史を持つこの博物館は、大英帝国中心の近代グローバリゼーションを彩る一大百科辞典ともいえる。北京の故宮博物院が東アジア支配を背景とした中華帝国のモニュメントの蓄積であるように。

          

 まあ、そんな屁理屈はともかく、その規模と収蔵品の多さが半端ではない。収蔵品総数は800万点、そのうち、常設展示は15万点という。
 これをすべて見ようとするとどのくらいの時間がかかるのかを計算してみる。移動の時間などをまったく無視し、一点につき1秒間見るとして42時間を要する。開館時間などからすると、5日間が必要となる。

          

 そんなわけで、とても一点一点に注目することはできない。駆け足で各スペースの特徴などを実感しながら、特徴的なものに足を留める他はない。
 絶対に見ようと思っていたもののひとつにロゼッタストーンがある。これは館内のガイドに尋ねてその所在を確かめて観た。解読困難な文字列といわれ、それを解く過程そのもののスリル、その結果として言語学史上に残した大きな成果、などなどはもちろん以前から知っていた。
 しかし、それを目の当たりにする感動はある。記された3種類に及ぶ言語、文字を駆使して表現することへの執着、それを石に刻んで残すということ、紀元前2世紀のそれが現代に伝わっているということ、こうした過程そのものが壮大なドラマであり、まさに人間の営みが言語とともにあり、言語が存在の証であることを告げている。

             

 もちろん、他に多くの印象的なものがあったのだが、それらが次々と立ち現れるものだからもったいないがそれら個物の印象は全体的に薄められたものになるほかはない。ただただその連続に酔う。
 こうした人類の壮大な歴史のなかに、自分もまた投げ出されてあることの不思議さにしばし佇む。

          

 集団として印象に残ったのはアフリカのスペース。ここに集められたものはさほど古いものではないが、シャーマンがダンスをしてエクスタシーに至る過程の装束には驚いた。どんな想像力=創造力がこんなものを生み出すのだろうか。それらは、ある意味で現代アートをも超越している。目に見える祈りの象徴。表象能力を越えた自然とカルトとの融合。

          

 日本に関するスペースも館内マップには記されていたが、見あたらない。ガイドに尋ねたら、現在の展示にはなく、9月からだからその際に来いとのこと。隣町へ行くわけではないからそんなに毎月来られるわけではないと微苦笑。

          

 とにかく、その壮大さ、それらを収集しようとする意志の力には感動するものがある。
 もちろん、それらの収集品のなかには、金と権力をもって強奪同様に集められたものもあるという批判も知っている。それらが植民地支配によって可能になったことも知っている。そして、それらの抗議がまったく正当であることも知っている。
 しかしなお、収集という人間の意志、それらの過程を通じて「全体」を知ろうとする人間の意志には感服する。

          

 こうした全体を知ろうと事物を収集する方法には、ある一点の真実や真理からすべてを演繹し、理解したつもりになっている形而上学的方法とは反対に、あくまでも個物の集積として全体を理解しようとする極めてリアルな現実把握への意志がある。

          

 館内のあらゆる言語が入り混じった喧騒のなかで、世界中から収集されたものを、今度は世界中の人々が見に来るというサイクルが生じている。
 世界中から収集されたものが、いま人々を世界中から収集している。私もまた、収集された者・モノ?にほかならない。
 
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ロンドン幻想曲 漱石&ホームズ

2018-08-02 16:40:22 | 旅行
 どういうわけかロンドンにいます。
 ヒースロー空港からラッセルスクェアでチューブを降りて歩いていたら、とあるカフェの前で明らかに知っている日本人とすれ違いました。神経質そうな表情で、何やら呟くようにしながら周りを見渡すでもなくうつろな眼差しで通り過ぎてゆくのです。

          

 え~と、え~と、あれは誰だっけ。あ、そうだ、夏目漱石だ。と振り返ってみると、彼はカフェの角を曲がり姿を消そうとしています。よほど追いかけて言葉を交わそうかと思ったのですが、そんなことをしたら時空のねじれのなかに紛れ込んで面倒なことになりそうなのでやめておきました。

 気持ちの上で満たされず、かなりずたずたで精神上での崩壊寸前を味わったという彼の留学時代・・・・それは彼の最も悲惨な時代ともいえるのですが、それがあって、その後の漱石が可能になったともいえるのでしょう。

          

 そんなことをことを考えながら歩いていると、ふと違和感を感じました。ある気配が、ほぼ等距離で私とともに移動しているのです。そう、誰かにつけられているのです。生まれて初めてのロンドン、しかも今日着いたばかりでひとに尾行される覚えはまったくありません。
 大英博物館とは逆の方向へ歩いていたのですが、とある角で急に曲がり、ちょっと先にあった建物のイントロ部分のくぼみに身を隠しました。

 果たせるかな、その直後、一人の男が慌てて曲がってきて、しかも人影が見えないので困惑した表情で立ちつくしています。見たところ紳士風で悪人面でもなく、私に危害を加える意図もなさそうです。
 そのくぼみから出て彼の前に立ち、「私になにかご用ですか?」と尋ねました。

 男は驚いた風で、私をなだめるように両手のひらをかざしながら、
「いや、その~、つまりこれは・・・・」
 と、懸命な言い訳の表情です。
 その時、その背後から、快活そうな男の声がひびいたのでした。
「ワトソン君、相変わらず君は尾行が下手だねぇ」
 彼は私の方を見ながら言葉を続けました。
「いやぁ、失敬失敬。驚かせてすまなかった。僕はシャーロック・ホームズといって、彼は友人のワトソン君だ。君の後などつけて申し訳けなかったが、決して悪気はなかったんだ。許してくれたまえ」

 彼の説明は続きます。
「僕たちはね、きみがさっき通りかかったカフェでお茶をしてたんだが、僕が君を見て、『あ、日本人だ』と言ったらワトソン君が『そんなこと分かるもんか。最近はチャイニーズやコーリアン、それに東アジアからの旅行者も多いから』というんで、『それじゃ、10ポンド賭けよう』ということになってね、それでワトスン君がきみが日本人ではない証拠を掴むといってつけ始めたというわけなんだ」

          

「さ、ワトソン君、10ポンドは僕のものだ」
「どうして君はこの人が日本人だとわかったのだい」
「それはね、この人があのカフェの前ですれ違ったMr.夏目を興味深そうに見つめていたからだよ」
 ここで私が驚いて尋ねました。
「ホームズさん、あなたはどうして夏目漱石を知っているのですか。彼がここへ留学していた頃は世界はおろか日本でも無名の頃ですよね」

「ああ、それはね、実は彼がいる下宿屋の女主人からね、『うちにいる日本人はなんか陰気で引きこもりがちなんだがテロリストかなんかではないか』とその身辺調査を依頼されたからなんだよ。調べたところ、かなり神経衰弱気味だったが、日本とヨーロッパとの関連でその行く末のこと、日本的伝統とヨーロッパの価値観の相克のなかで生じるであろういろいろな問題、そして何よりも彼自身のアイディンティティの問題などなどを極めて真面目に考えていた結果だと判断した。だから、決して下宿に迷惑はかけないと思うと答えておいたんだ」
「おいおい、そんな話、少しも聞いていないぜ」
 と、ワトソン氏が口をとがらせました。
「いやいや、とても君の手をわずらわすほどのことはないと思って私一人で調べたのだ」
「そんなハンディがあるんだったらこの賭けは無効だ」
「いやいや、賭けははきみがいい出したことだし、この人がMr.夏目に興味を示したのを見逃さなかったのも僕の慧眼によるものだから・・・・」

          

 二人の話はまだまだ続くようでしたが、私は今宵の宿がとってあるユーストン駅の方に向かって歩きだすのでした。ただでさえフライトが遅れたことで、チェックインを急いでいたのです。
 それにしても、漱石はちゃんと自分の下宿へ帰っただろうかなどと勝手に心配しながら。




 
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