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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

全体を知るという壮大な意欲 大英博物館にて

2018-08-04 23:26:35 | 日記
 ロンドンでの見聞は、まずは大英博物館から。
 ホテルから15~20分の距離。ロンドンの市街をお上りさんよろしくなめつくすように眺めながら、歩を進める。伝統的なものがごく自然に街を形成していて、日本の都市のような無政府的なアンバランス感はない。

          

 開門早々に北側のいわば裏口からの入館。そのほうが空いているようだ。もともとの建物の構造は広い中庭をもったロの字型のものだったようだが、その中庭部分に円筒型の建物を作り、エレベーターなどの新しい施設を入れてある。

             

 もちろん、なんといってもその見どころは中味そのものだ。
 一般公開されてからも、すでに250年以上の歴史を持つこの博物館は、大英帝国中心の近代グローバリゼーションを彩る一大百科辞典ともいえる。北京の故宮博物院が東アジア支配を背景とした中華帝国のモニュメントの蓄積であるように。

          

 まあ、そんな屁理屈はともかく、その規模と収蔵品の多さが半端ではない。収蔵品総数は800万点、そのうち、常設展示は15万点という。
 これをすべて見ようとするとどのくらいの時間がかかるのかを計算してみる。移動の時間などをまったく無視し、一点につき1秒間見るとして42時間を要する。開館時間などからすると、5日間が必要となる。

          

 そんなわけで、とても一点一点に注目することはできない。駆け足で各スペースの特徴などを実感しながら、特徴的なものに足を留める他はない。
 絶対に見ようと思っていたもののひとつにロゼッタストーンがある。これは館内のガイドに尋ねてその所在を確かめて観た。解読困難な文字列といわれ、それを解く過程そのもののスリル、その結果として言語学史上に残した大きな成果、などなどはもちろん以前から知っていた。
 しかし、それを目の当たりにする感動はある。記された3種類に及ぶ言語、文字を駆使して表現することへの執着、それを石に刻んで残すということ、紀元前2世紀のそれが現代に伝わっているということ、こうした過程そのものが壮大なドラマであり、まさに人間の営みが言語とともにあり、言語が存在の証であることを告げている。

             

 もちろん、他に多くの印象的なものがあったのだが、それらが次々と立ち現れるものだからもったいないがそれら個物の印象は全体的に薄められたものになるほかはない。ただただその連続に酔う。
 こうした人類の壮大な歴史のなかに、自分もまた投げ出されてあることの不思議さにしばし佇む。

          

 集団として印象に残ったのはアフリカのスペース。ここに集められたものはさほど古いものではないが、シャーマンがダンスをしてエクスタシーに至る過程の装束には驚いた。どんな想像力=創造力がこんなものを生み出すのだろうか。それらは、ある意味で現代アートをも超越している。目に見える祈りの象徴。表象能力を越えた自然とカルトとの融合。

          

 日本に関するスペースも館内マップには記されていたが、見あたらない。ガイドに尋ねたら、現在の展示にはなく、9月からだからその際に来いとのこと。隣町へ行くわけではないからそんなに毎月来られるわけではないと微苦笑。

          

 とにかく、その壮大さ、それらを収集しようとする意志の力には感動するものがある。
 もちろん、それらの収集品のなかには、金と権力をもって強奪同様に集められたものもあるという批判も知っている。それらが植民地支配によって可能になったことも知っている。そして、それらの抗議がまったく正当であることも知っている。
 しかしなお、収集という人間の意志、それらの過程を通じて「全体」を知ろうとする人間の意志には感服する。

          

 こうした全体を知ろうと事物を収集する方法には、ある一点の真実や真理からすべてを演繹し、理解したつもりになっている形而上学的方法とは反対に、あくまでも個物の集積として全体を理解しようとする極めてリアルな現実把握への意志がある。

          

 館内のあらゆる言語が入り混じった喧騒のなかで、世界中から収集されたものを、今度は世界中の人々が見に来るというサイクルが生じている。
 世界中から収集されたものが、いま人々を世界中から収集している。私もまた、収集された者・モノ?にほかならない。
 
コメント (2)
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