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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

喉元の熱さ・・・去年の今頃は?

2010-08-06 03:57:15 | 想い出を掘り起こす
 今年は暑い、だから熱中症に気をつけろという言説があふれています。
 おおせの通りでしょう。
 しかし、面白いですね。
 去年の今頃は、そんなことは全く語られていなかったのです。
 まさに、喉元過ぎれば熱さ忘れるですね。

       

 思い出させてあげましょうか。
 去年の今頃は「新型インフルエンザ」の恐怖にあおられ、夏でもマスクをしている人がそこら中にあふれていたのです。
 そして、人が集まる行事の多くが中止になりました。
 
 かわいそうに、私の地区でも、子供会や学校の夏の行事(あんどん祭りや子供盆踊り大会)など子供たちの楽しみもすべて中止になりました。

 世界中でスペイン風邪の何倍もの人が死ぬと脅されたあれって、いったいなんだったのでしょうか。
 ほんとうに、防疫措置が効いたからおさまったのでしょうか?
 それとも、たんなる空騒ぎだったのでしょうか?

 私は後者の可能性が非常に強いと思います。
 日本のように徹底した防疫措置をとらなかった地域でも、人がばたばた死んだということはまったくなかったからです。
 目立ったのは、危機管理、危機管理と叫び立てるマスコミの肥大情報のみです。

   
 
 これは危険ですね。
 かつては、自然発生的な流言飛語が飛び交った際、マスコミはこれをただす立場でした。しかし、今日、流言飛語の出所はマスコミです。しかもそれが、危機管理や公益の名において行われます。
 
 関東大震災のあと、朝鮮人や社会運動家がこの機に乗じて暴動を起こそうとしているとの流言飛語に踊らされた人によって、何千人という人が(最小でも三千人、最大六千人)が殺されました。
 殺されたなかには、標準語がうまく喋れない東北や九州の出身者も含まれています。

 マスコミが騒ぎ立てる事象に、冷静に対応できることが要請されています。
 さもないとあなたは、マスコミの煽りによって、殺害者になったり他者への抑圧者になったりします。
 
 幸い、今年はこの地区では、子供のための行事は行われるようです。
 申し添えます。
 去年これらの行事の開催を主張する人は「非国民」だったのです。

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【嘆き】かくして粗大ゴミは遺棄される

2010-08-04 15:44:44 | 社会評論
 前に、誰にも看取られず、遺体の引き取り手すらない無縁死(行政の用語では「行旅死亡人」という)が年間三万二千人に達し、自殺者の三万人超を加えると、年間六万人強の人たちが、尋常ならざる死を遂げていることを述べた。
 そして、それが一億三千万を分母とした少数の問題としてではなく、年間の死亡者約百二十万人を分母として考えねばならないとも書いた。
 そうすると、6/120だから、日本人の5%、つまり二〇人に一人はそのような死を迎えていることになる。

    

 それに加えて、昨今、急に注目され始めた百歳以上の老人の所在不明、幼児の置き去り死などなどを加えるとその分子はドンドン肥大化するであろう。
 老人の死については、百歳といわず、八〇歳以上ぐらいに調査を拡大すべきだという主張もある。それによって増加する死者数は予想もつかない。
 ひょっとしたら、世界一の長寿国という事実を数の上でも脅かしかねない。
 少なくともその質においては、とっくにその幻想性を露呈してしまっている。

 老人は早くからゴミ扱いされてきた。晩年は年金を受取るのみの装置として、家族がこれを利用する。だから今回のような事態が続発するのだろう。
 行政もほとんど高齢者を放置してきたことが明るみになった。百歳以上の人には毎年、祝い金などが与えられるが、行政はそれらを本人確認すらせず、家族に機械的に配布してきたのだ。
 行政とても、年々増え続けるゴミには対処しかねるというわけだ。
 
 それを残酷とする人たちの間にも、人としての機能をほとんど失っのた老人はもはや人ではないという思いが密かにあるだろう。
 私はそれを覚悟している。生産力一辺倒の世の中では生産と再生産の力たり得ず、もはや消費すらし得ないものをゴミとして遺棄するのは自然なことかも知れない。私は既にしてその立派な予備軍である。

       

 しかし、やはり警告はしておくべきであろう。
 そうした一部の人間のゴミ扱いは、最初は遠慮がちに行われる。
 だが、ひとたび一部の人間がゴミであることが承認されるや、やがてそれらは拡大解釈される運命にあるのだ。
 
 現実に、物言わぬ老人、語れぬ子等がゴミ扱いされ、親族も地域も行政も、そうしたゴミの存在を暗黙のうちに了承しているのだが、情勢次第ではそれらは拡大する。

 老人、子供、障害者、犯罪者、在日、生産性に馴染まない人々一般、あるいは「有害な思想」を抱いた連中。
 一部の人間をゴミとして認定した以上、どうしてそのほかの人間についてためらう必要があろうか。

    

 かくして、だれかをゴミと評価する世の中は、次第に荒廃する。
 在日をゴミだ豚だとしてデモるひとたちは、その行為のもっている一般性を自覚しているのだろうか。誰かをゴミとして断定する基準は流動的である。
 他者をゴミ呼ばわりしてきた人たちは、その基準が変わって自分がゴミ呼ばわりされたとき、それに対し原理的に抗弁しえないはずだ。

 人の世にはゴミが存在することを原理的に認めてしまっている以上、それはどんな形にも変容する。単純にいって、人をゴミ呼ばわりする連中がゴミだという論理も充分成立する。

 自分たちはゴミではないと自認する人たちも思うべきだろう。あなたの「人」としての可能性は、冒頭で述べたように、ゴミとしての処分が年を追って増加する世の中という、死臭や腐臭に満ちた地盤の上にかろうじて成り立っているのだということを・・・。
 あなたたちは、もう何十年も前に死亡していた人と同居している家族に過ぎない。
 ただ、その死臭に鈍感なだけだ。
 

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新しいお友達を紹介致します。

2010-08-03 04:32:31 | ラブレター
 みなさ~ん 孤独な私に新しいお友達が出来ました。
 晴れてご紹介致します。
 「晴れて」というのは、実はもうしばらく前からお友達だったのですが、皆さんにご紹介するのをいやがっていたんです。
 それがやっとかなったというわけです。

 はじめから説明しましょう。
 夕方になると庭の植物たちに水をやりに行きます。
 連日の35度越え、植物たちもぐったりしています。
 彼らは正直で、水をやるとみるみる元気になります。

 こちらは重装備です。
 長ズボンに靴、長袖、そして頭には濡れタオルというスタイルです。
 そうしないと、ちょっと日陰へ入ったとたん、どう猛なヤブ蚊どもの一斉攻撃に遭い、あちらこちらがかゆくなること請け合いなのです。
 彼らがどのくらいどう猛かというと、夏用の薄いズボンぐらいですと、その上から構わず刺してきます。
 ですから、厚い綿パン着用です。

    

 で、話を戻しますと、私が水を撒き始めるとです。どこからともなく一匹の足長蜂が現れるのです。そして私の周りを飛び回ります。
 ときには目の前2、30センチのところでホバリングをして人の表情を確かめたりします。それからまた戯れるように水を撒く私を中心に飛び回ります。
 それがまるではしゃぎ廻っているようなのです。

 田舎育ちの私はあまり蜂が恐くはありません。
 スズメバチは例外ですが、蜜蜂やこの足長蜂にはよく刺されました。
 蜜蜂はかわいそうです。
 刺した蜂はそのまま自分も死んでしまうようです。
 蜜蜂に刺されると、鈎状の針がこちらの皮膚に残ります。
 しかもその針には内蔵の一部もついているのです。
 こうして針を失った蜜蜂は自分も命を落とすのです。

 しかし、蜜蜂は滅多なことでは人を刺しません。
 その代わり、巣が襲われたとなると勇猛果敢に攻撃してくるようです。
 刺したら自分も死ぬのですから、一匹一匹が自爆攻撃のようなものですね。

 刺された痛さは、私の経験では足長蜂の方が強いと思いました。
 刺された箇所が赤くなり少しふくれあがって暫くの間ジンジンと痛みが続きます。
 まあ、しかし、ショックを受けたりしなければ命に別状はありません。
 そしてまた足長蜂も、自分から人を攻撃することは決してありません。

    

 さて、私の足長蜂に話を戻しましょう。
 もう一〇日か二週間前から、私が水撒きにでると必ずどこかから現れるようになったのです。

 私が水を撒いている間ズーッと近くにいることもありますし、また、飽きが来たのか、あるいは他に何か対象を見つけたのかいつの間にかすーっといなくなることもあります。
 ただし、これまでのところ、現れなかった日は一日もありません。
 なかなか来ないと心配になって捜すのですが、案ずることなくちゃんと現れます。

 それで、何日か経った折り、これは皆さんに写真で報告しようと思い立ちました。
 しかし、飛び回ってばかりでなかなか撮せません。
 どこかに止まった折に、水撒きをやめてさっとカメラを構えるのですが、「いや~ん」とばかりに逃げ去ります。
 そんな日が、二、三日続きました。

    
 
 そして昨日です。
 えらく私の身近を飛び回り、すぐ目の前にとまったりするのです。
 今までですと、携帯のカメラを取り出したとたん、すい~っと飛びさるのですが、
 昨日は違いました。
 こっそり、ゆっくりカメラを取り出しても、飛び立ちません。
 カメラを接写に設定している間も飛び立ちません。

 まるで、「ねえ早く撮してよ」といってるようなのです。
 それで、撮りました。
 いちばん近くで撮ったものは、おそらく一五センチぐらいの距離でしょうか。
 数枚撮り終えたところで、「ちゃんと撮った?じゃあね」といわんばかりに飛び立ちました。

 しばらくは、私の周りを飛び回っていましたが、「じゃぁ、行くね」とばかりに飛び去りました。
 「ありがとう。ネットでみんなに紹介しとくからね」といったとたん、くるっと旋回したのは「よろしくね」という挨拶でしょうか。

 といったわけで、私の新しいお友達を紹介致します。
 好奇心旺盛な足長蜂さんです。
 明日もきっと逢えるはずです。
 



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【告白】私が八月を嫌いなわけ

2010-08-01 18:13:25 | 想い出を掘り起こす
 八月は嫌いな月だ。
 幼い頃、戦争で多くの人が死んだ。
 そこで私も死ぬはずだったのに、戦争に敗けてもう死ななくてもいいと言われた。
 昨日まで、「大きくなったら天皇のために立派に戦って死ね」と言っていた人たちがそう言った。
 幼い私はすでにして「人生の目的」を失った。

 でもここまで生き延びたのはその都度、生きる目的をおのれに設定してきたからだ。
 もちろん、その過程でとんでもない間違いを何度もしてきたのだが。

  

 そうそう、八月の話だった。
 中学生の時、全国合唱コンクールに出場するためのメンバーに選ばれた。
 歌がうまかったからではなく、きっとこの美貌からして舞台が映えると判断されたのだろう。

 夏休みのほとんど毎日、練習のために学校へ通った。
 近所のワルガキが、「これから長良川へゆくんじゃ」とはしゃいでいるときでも、私は見向きもせず学校へと通った。
 ひたすら芸術という崇高な使命に殉ずるためにだ。

 苦しかった練習の夏が終わって、秋口、岐阜県大会の予選が始まり、私たちは会場となった学校の講堂へと集まった。
 まもなく出番というとき、指導している教師から意外なことが告げられた。
 「メンバーが大会の基準よりひとり多いので、ひとりの出場を辞退してもらう」というのだ。

 なぜそんなことになったかというと、途中での脱落や当日の病欠を考えて、予め定員よりひとり多い編成で練習してきたというのだ。
 ところが、誰も脱落せず、病気にもかからずここまで来たせいで、ひとり余ってしまったというわけだ。

 でどうするかというと、ジャンケンで決めるのだという。
 各グループでジャンケンをし、負けたものが集められさらに…という過程が繰り返され、その都度人数が少なくなっていった。
 そして私はその少ない人数の中に居続け、あろうことか最後のひとりになるまで居残ったのだった。

 「六、君は客席から応援してくれ」というのが教師の冷酷な宣告であった。
 それ以降はあまり記憶にない。
 客席から奇声を発し演奏の妨害をしてやろうかなどと企てる必要もなく、わが校は予選で敗退した。
 当たり前だ。私という大エースを欠いて臨んだ試合に勝てるわけがない。
 イチローを欠いたマリナーズのようなものだ(あ、イチローが打っても負けてるか、まあこの際それはどうでもいい)。
 「ざまあみろ」とは言わなかったが、それが当然の結果だと思った。

   
      休耕田に生えた苔が水に浸かってめくれてきた

 ところで、私のあの夏休みの日々の精進はなんだったのか。
 「それは決して無駄な努力ではなかった」というのはきれいごとにすぎない。
 多感な時期の私にとって、他にすべきこと、したいことは山ほどあった。
 ああ、それなのに、私はなんのためのこの夏の時間を消耗したのか。
 
 だから、ある時、「コンクールの反省会があるから、メンバーは放課後残るように」と言われたとき私は断固として残らなかった。
 私は「メンバー」ではなかったし、これ以上の無駄を重ねたくはなかったのだ。
 それに、その反省会で、「私たちが敗けたのは、六がいなかったからだ」という謙虚な反省の言葉が出てくるはずがないと思ったからだ。

 それ以来私は、合唱というあのファッシズムにも似た形式が嫌いになった。
 なんで指揮棒に合わせて、みんな同様に口をパクパクしなければならないんだ。
 そこから回復できたのはシューマンのおかげであった。
 彼の「流浪の民」をしみじみと聴いたとき、合唱というのもさほどに悪いものではないと思った。
 ただし、合唱コンクールというのは未だに好きではない。
 「指揮は〇〇先生」などと聞くと「ケッ!」と思ってしまう。

 私の奪われたあのいとおしい八月。
 私がグレもせず今日ここまでこれたのは、その後、そうしたコンクールなどという他者の設定した目標に惑わされることなく、自ら目標を設定することを学んできたからである。
 それは誤りの集積だったかもしれない。
 それでもいい。他者の設定に乗せられて、最終段階で放り出されるよりよほどましだ。

 といったわけで、私がこの八月を忌み嫌うわけをお分かりいただいたであろうか。
 しかし、私にとって最も忌々しいのは、あのコンクールと練習の日々について、一番良く覚えているのはほかならぬこの私だということだ。
 他の連中もいいジジババになっているだろうが、もはやそんなコンクールがあったことすら多分覚えてはいないであろう。

 ああ、嫌だ嫌だ、八月なんて早くどこかへ行ってしまうがいい!
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