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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

嗚呼、鳴いて呼ぶ柳ヶ瀬探訪記

2010-08-09 03:31:20 | 現代思想
 久しぶりに柳ヶ瀬に出ました。
 8月8日は、柳ヶ瀬商店街が企画した「岐阜ど真ん中夏祭り」の最終日ですから、何かがあるのかと思ったらさしたることはありません。
 いわゆる柳ヶ瀬本通りに、数店の出店があるのみなのです。

       

       

 そこでトマトを格安で売っていたオッサンに話を聞きました。
 「夏祭り最終日だそうですが、まだ何かあるのですか」
 「なんにもないさ。見てみろ、この本通りを解放したのに、出ている店はほんの数軒、これじゃあ、柳ヶ瀬はおしまいだよ。やる気がないんだもんな、みんな。俺んとこも柳ヶ瀬で何十年も八百屋をやって来たがもう考えるよ」と痛烈なことば。
 こうした問答があったからかどうか、それまで、5個300円だったトマトが、10個で300円でもってけになりました。

    

 関の刃物やさんが店を出していました。
 こんな街頭で出しているのに、お客は高いというのだそうです。なぜしょうか?
 関へ納入されただけの外国産のものが、関の刃物でまかり通っているというのです。しかも大メーカーがそれを行っているのだといいます。
 うちはほんとうに関で作ったものを売っているのだとご主人。
 そのご主人が気炎を上げている間、奥さんが立ち寄る客に刃物の特性やその手入れを事細かに説明しているのが印象的でした。
    
   
 親子三人で、肉料理の店を宣伝しているほほえましい屋台がありました。
 しかし、昼間っからこうしたキャンペーンをするということはかなり苦戦している証拠だとおもいます。何とか応援してやりたいものです。
 肉料理は、年齢からして若干敬遠気味なのですが、同伴してくれる人(女性が望ましいがこのさい男も許容します。ただし割り勘ですぞ)がいれば行ってやりたい感じがしました。
 この店の成否は、なにがしかこの子の生来をも左右すると思うからです。

    

 柳ヶ瀬にも一箇所、華やかな箇所がありました。昔の古~い映画館が、大衆演劇のメッカとして復活したのです。どれくらい古いかというと、私が亡父に連れられてここで映画を見たのが60年前なのです。
 もちろんそのときとは造りは変わったいますが、名前は一緒です。

 私が通りかかった折、ちょうど開演前で、一座の若い衆がデモンストレーションをしていました。撮影にはもちろん了解をとったのですが、「自然で結構ですから」といったら、「その自然が難しいんだよなぁ」というのが彼らの返事。
 なるほど、彼らは見られる商売、人の視線のなかで自然にいることは出来ないのでしょうね。
 でも快く撮らせてくれました。

    


 最後の看板の写真、真ん中の白い着物の役者さん、私の若い頃にうり二つだと思うのは私だけでしょうか?
コメント
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