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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【立秋の揺れ】私の声はどこまで届くのだろうか?

2010-08-17 15:16:32 | よしなしごと
 これだけ暑くて何が立秋だと悪口を言っていましたが、さすがにお盆を過ぎると様相が変わってきます。
 特に私のような夜型人間にとってはそうです。
 遠く、近く聞こえていた盆踊りのお囃子もすっかり絶えました。
 子供や若者達の花火遊びの音や嬌声ももう聞こえません。
 近隣の市町村の遠花火ももう聞こえません。
 時折、「風の音にぞおどろかねぬる」ような風を感じ、ふと虫の声などを耳にすると、やはり、来るべきものは来ているようです。
 これで、甲子園が終わると秋色は一段と強まるでしょう。(後半にこの続き)

        

 前回は、65年前の敗戦時、8月15日の私の体験などを出来るだけ淡々と述べてみました。
 延べ三日間で、ブログやSNSへのアクセスは1,000を越えました。私の記事をさらに他の方へ紹介していただいた方などもいて、アクセスが広がったのだと思います。

 私は、ネットや最近参加した同人誌などで、いろいろな言説をまき散らしています。しかし、そうはしながら、私の言説がどこまで届いているのかに対しては懐疑的です。アクセスなどの数の問題に留まらず、その質においてもです。
 もちろん、私の繰り出す言説そのものの質やその評価の問題はあるのですが、それ以前に、例えば若い人たちが依拠しているメディアとの間に大きな齟齬があるのではないかと思うわけです。

    

 もちろん昔から硬派の言説とそれ以外のものとがそれぞれ依拠するメディアを別にしながら併存するという状況がありました。しかしそれらは、簡単に交わるものではないにしろ、どこかに接点があったり、あるいはあるはずだという前提のようなものがあっての棲み分けだったような気がするのです。

        

 従って、いわゆる知識人といわれる人たちがいて、その人のものを直接読んではいないが全般的な言説の地図の上でどの辺を占めているのかがある程度概括でき、人々がそれらを共有するような事態がありました。
 そして何かの出来事や事件の都度、それら知識人がその見解を述べ、それに納得するにせよ反発するにせよ彼らを参照項とする習慣がありました。

 現在でもそうしたスタイルが新聞などではとられていますが、「中庸」を装うためにほとんどの場合、見解を異にしたり、賛否を違える両者を均等に扱うなど、そのオピニオンリーダーとしての役割は著しく低下しています。
 そしてまた、彼らの言説そのものにもまったく勢いが感じられません。

    
 
 とりわけ、いわゆる冷戦終結後の緊張感を欠いた論壇においてはそれが加速されたように思います。それぞれが依拠してきた「大きな物語」を失ったからでしょうか。
 それの善し悪しはいいますまい。
 それがいわば、ポストモダンな社会においての言説の実状だとしたら、それを踏まえてものをいうべきなのでしょう。
 が、それにしても人々は様々に小分けされていて、それらを横断して聞き届けられるということは果たして可能なのでしょうか。

        

 この文章の前半は、昨日の夜半に書きました。
 ほんとうに多少は秋の気配があったのです。
 しかし、今日17日の昼は、それを取り消したいくらいの暑さです。
 気温は既に三七度を軽く超えています。
 先ほど、すこし離れたところまで外出したのですが、頭がくらくらして来て、早急に用件を済ませて逃げ帰ってきました。





コメント (3)
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