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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

不思議な空間へのトリップ

2010-02-15 02:00:23 | よしなしごと
 茜部と書いて「あかなべ」と読む。岐阜市の南部の地名である。
 881年以降、平安時代を通じて奈良の東大寺の荘園となり、染料となる茜草を栽培していたらしい。
 その茜部のさらに南端近くで、荒田川と境川という、ともに一級河川ではあるがさほど大きくはない二つの川が合流する地点があって、そこには川に挟まれ鋭角になった空き地がある。
 荒田川寄りからは、手すりも何もない幅1メートル強ほどのコンクリート製の橋でその空き地へ行くことができる。

  
              これは境川の側

 その空き地であるが、公園か何かに仕立てようとしていろいろ工事を試みたのだが、断念したらしい痕跡がある。ほぼ中央にメタセコイアが植えられ、いかにも素人風な文字で「メタセコイア」と書いた札がかけられていたりする。おまけにこのメタセコイア、イルミネーションでライトアップされていたらしく、今なお、豆電球を付けたコードが樹の上から地上に向かって張り巡らされている。

  
            荒田川の方のせせらぎ

 このメタセコイアを中心に、複数の桜の若木が植えられ、どうやら早咲きのもののようで、やや小粒で緋色がかった花々がもう二分咲きになっていた。この時期、この桜が唯一この土地で華やいだ色をなしている。その他にも植樹をしたらしい樹木や、工事中のまま放置された材料なども散見できる。

  
            やや小粒な早咲きの桜が
 
 二、三年前にひょんなことでここを訪れて以来、時折気になってやって来る。
 二つの川に挟まれた地形が好きなのと、何よりも公園造成が途中で放棄されている謎のようなありようが気にかかるのである。
 地域の人たちの計画だったのだろうか、それとも誰か個人の企画だったのだろうか。

  
     まだ造成が続いているのだろうか?それとも別の資材?     

 いずれにしても不思議な空間で、一度など夢のなかで、ここにポツネンと立っている自分を見たことがある。
 こんな場所であるから夢のなかでなくとも人気はなく、ここにしばらくいても人に出合ったことはない。時折、農作業などで対岸を通るひとがいるが、そこにいる私をたぶんいぶかしげな面持ちで見ていることだろう。

  
     合流点から南西の下流方面には重そうな冬の雲が
     
 さて、何となく私たちの日常から置き去りにされた異次元のように中途半端なこの場所は、今後どんな変化を遂げるのだろうか。時折は訪れて、その変遷を見届けたいものである。
 さほど暇でもない身なのに、われながら物好きなことではある。

【おまけ・この空間の利用方法】
1)暖かくなったら、座椅子など持っていって、日光浴をしながら終日読書をする。BGMは鳥のさえずり。この日確認しただけでも、モズ、背黒セキレイ、カワラヒワなどがいた。
2)親しい人たちと月見の宴でも張る。人家との距離があるから、よほど大声で騒がない限り、迷惑にはならない。
 

コメント (4)
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