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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

犬山郷愁物語 静心なく花の散るらむ

2010-02-23 15:52:56 | 想い出を掘り起こす
 久々に愛知県犬山市へ行きました。
 始めて行ったのはもう65年ほど前です。
 戦争にとられていた父の無事を祈願しに、信心深かった母に連れられ、犬山城麓の針綱神社に行ったのです。いまから調べてみると、この神社の御利益は、安産、子授けだとのことですが、戦争未亡人になりかけの母がそれを願うわけはありませんから、もう少し下位のメニュー、厄除け、長命を祈りにいったに違いありません。

  
         夕日に映える郷瀬川のせせらぎと石垣

 もっとも母は、汎神論といえばいささか格好がいいのですが、どちらかというとアミニズム信仰のようなものでしたから、ありがたいものがあるというと、お狸様でもお蛇様でも拝みに行っていました。ですから、その神社が掲げる効能書きや礼拝のマニュアルなどはどうでもよかったのでしょう。

 それ以降しばしば犬山へは行く機会があり、国宝・犬山城や、織田有楽齊のやはり国宝である茶室・如庵など印象深いものが結構あります。
 とりわけ、その如庵へ10年ほど前母と行った折り、たまたま花の時期で、如庵を出ると、風もないのにはらはらと桜が降りかかるように散ってきました。私はそれを見て母に、「ホラ、あの歌の通りだよ」といってやりました。

  
     1842年に建てられた豪商奥村家 現在はフレンチレストラン
 
 その歌とは、百人一首にある、「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」(紀友則)で、まさにそんな情景だったのです。それを母に告げたのは、かつて家族じゅうでカルタ遊びなどした折、母はこの札だけは絶対にひとにとらせなかったという事情があったからです。
 なぜかというと、この札に出てくる「静」(戸籍上ではカタカナでシズ)が自分の本名だったからです。余談ですが、普通は「静子」で通していました。

 ですからこの札には絶対に固執していました。私など、その在処がわかっている折りには、「ひさか……」ぐらいで手が出そうになるのですが、グッとこらえました。その札をとってしまうと途端に母の機嫌が悪くなるからです。

  
       「静心なく花の……」 この写真は去年のもの

 如庵に戻りましょう。ほんとうに花が雨のごとくはらはらと降りかかってきたのです。あの辺は老木が多く、たぶんソメイヨシノではないエドヒガンかなにかでけっこう樹高があり、そこから降りかかるそれは滞空時間も長く、まことにもって幻想的でした。
 母はそれを見上げながら、「ほんとうにそうだなぁ」と童女のように顔をほころばせていました。

  
         現在の犬山橋 これについてはまた書きたい

 ほんとうは、今日は犬山橋について書きたかったのです。
 しかし、つい昨年亡くなった母のことに筆をとられ、前置きのつもりが長くなってしまいました。
 犬山橋についてはまたの機会にします。

コメント
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