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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

春を呼ぶ対話@名古屋栄第二公園

2010-02-25 02:24:00 | よしなしごと
  

 公園の日溜まりでのある会話です。

女性像「おじさん、今日はのんびりしてるわねぇ」
おじさん「まあな」
女「今日の予定分のアルミ缶、もう集めちゃったの」
お「あくせくしたってはじまらないから今日は日向ぼっこさ。
  ところであんた、春はどこから来るか知ってるかい」
女「アラ、そんなこと考えたことはないわ。どこからかしら」
お「そうだなあ、むかし(1946年)♪朝はどこから♪という歌があってさ」
女「まあ、随分古い話ね。で、どこから来るの」
お「それがな、こんな風に続くのさ。
    朝はどこから来 るかしら
    あの空越えて 雲越えて
    光の国から来るかしら……・

女「なかなか面白そうな歌詞じゃない」
お「そうなんだけどさ、そのあとがいけない」
女「いけないってどういうこと」
お「そのあとはこう続くんだよ
    いえいえ そうではありませぬ
    それは希望の家庭か ら
    朝が来る来る 朝が来る
    <お早う><お早う>

女「それのどこがいけないの」
お「かんがえてみろよ、俺だったあんただって家庭なんてもっちゃいないだろう。そうすると、俺たちンところへは朝は来ないことになってしまう」
女「あ、そうか。家庭がないと朝も来ないんだ」
お「うん、決して悪い歌ではないんだけどね、この歌によると二番の昼も、三番の夜もみんな健全な家庭によって来ることになっている」
女「でもどうしてそんな歌が作られたの」
お「この歌が作られた1946年=昭和21年というのは、敗戦の翌年なんだよ。この歌は国営放送の<ラジオ歌謡>という番組で歌われたんだ。そしてこれは一種のキャンペーン・ソングでもあったわけだよ」
女「へえー。で、どうして家庭なの」
お「まず、戦争によって事実上、家族が分断された。それと、天皇を頂点とした国民みな家族という理念が崩壊した」
女「じゃぁ、その家庭の再構築がテーマなの」
お「そうともいえるな。ただし、その家父長的色彩を薄めて<希望の家庭>などと表現するところが戦後的なんだけどな」

  

女「ところでおじさん、さっきの質問だけど、春はどこから来るの」
お「あんたはどう思うんだい」
女「そうねぇ、私ってここで年中、噴水の水を浴びてるでしょう。
  だからね、その水がいままでほど冷たくなくなったとき」
お「なるほどねぇ。<水ぬるむ>だなぁ」
女「感心してないでおじさんはどうなの」
お「それがよく似てるんだなぁ。ほら、俺たちって芝生や地面の上にシートなど敷いて寝ることが多いだろう。そのときの地面の温もり、それが春さ」
女「ヘエー、そうなの。いろんな春の感じ方があるのね。そういえばこの間、
  そこのベンチに座ってた人、春になると鼻がむず痒いといってたわ」
お「そりゃぁ、花粉症だな」
女「ほかには、野球やサッカー、競馬が始まると春だという人もいるわね」
お「そりゃぁひと様々だけど、共通するものがひとつだけあるな」
女「それってなあに」
お「自然の運行さ。ほらそこのしだれ桜の木、枝々に確実につぼみを付けはじめてるだろう」
女「アラ、そういえばそうね」

 やっと暖かい陽射しが戻ってきた公園で、二人の会話は続くのでした。

コメント
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