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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

七〇歳老人、伊吹山で遭難?

2009-08-11 03:02:44 | ひとを弔う
 8月9日、伊吹山へ行ったのです。
 岐阜の住人にとっては、西の空を見やると常にそこに見られるなじみ深い山です。
 
 岐阜や大垣は朝から曇り空でした。
 好条件が望めるとははじめから思ってはいませんでした。
 伊吹山ドライブウエイにさしかかる料金所で、「山頂は雨とガス、それに風が強いですがいいですか」と念を押されました。私たちの一台前の車は、いったん払った料金を戻してもらってユーターンして帰ってゆきました。
 私たちはといえば、数々の苦難をくぐり抜けてきた百戦錬磨の勇士たち、というほどではありませんが前々からの予定、ここでひるんではなるものかとひたすら進むのでありました。
 実は私は、過去この山には2度来たこと(一度は子供たちと、もう一度は孫と)があり、これが三度目ですがこれほどの悪天候は初めてです。

 
     駐車場はご覧のガス。この人たちは同行者ではありません。

 果たせるかな、山道に取りついた途端、雨がしだいに強くなりました。私たちの前にはなんとタクシーが走っています。さすがのプロのドライバーも、この悪条件では慎重運転です。
 山頂付近の駐車場に着きました。横殴りの雨と強風、それにガスが立ちこめて車から出ることもままなりません。
 ここから山頂までは登り勾配の一キロ、小一時間を要します。
 遭難という二文字が頭をかすめました。
 しばらく待つうちに、やや小振りとなりました。登頂決行です。高齢者の私は、遭難しそうになったら車へ引き返すということで、ドライバーから車のキーを預かりました。


 
   これだけ人がいたら熊も出にくい。これは私たちが降りてきた後のもの

 なだらかな坂を登ります。降りしきる雨とガスのなか、いわゆる山岳風景は望外といわねばなりません。ただし足元に目を慰めてくれるものがあります。様々な高山植物のお花畑です。
 さほど高くはないのですが(1,377.3m)、独立峰であることもあって、一般の高山植物の他に「イブキ・・・」の名を冠した、イブキアザミ、コイブキアザミ、イブキジャコウソウ、イブキトリカブトなどの固有種も咲き誇っています。
 この時期の登山者は、こうしたお花畑の鑑賞者が多く、雨中にもかかわらず図鑑片手に花々を愛で、かつ、同行者に説明している人などもいて、こちらも思わぬ耳学問です。

 
            ガクアジサイに似た高山植物

 そのうちに雨は小降りになったのですが、風とガスは止みません。とりわけ山頂付近はとても風が強く、真っ向から風を受ける箇所ではあおられそうになりました。思えばここは、日本海側と太平洋側との風の通り道で、冬に濃尾平野に吹き付ける風を伊吹颪(おろし)といったりします。
 どうやら遭難は免れたようで、次第に人の数も増えてきました。本格的な登山スタイルの人に混じって、ごく普通の服装の人、ヒ-ルの高い靴の女性、タンクトップにショートパンツのお姉さんも現れます。
 そうなんです、ここは天候さえ良ければ、老若男女に親しまれる山なのです。こんなところで遭難したら笑われますよね。

 
               シモツケソウの仲間

 お花の写真をマニュアルカメラに収めました。きびしい温度差でレンズやフィルターの内側が曇っているのに気づかず撮ったものが多く大失敗です。
 何とか駐車場に戻ってきて帰り支度をはじめたときでした。ほんの一瞬、ガスが晴れて滋賀県側の琵琶湖を臨むことが出来ました。それに気づいた人が、わずか20メートル足らずの車にカメラをとりにいって戻ったらもうすべてはガスのなかというほどのあっという間でした。
 私はデジカメをもっていたのでかろうじて何枚か撮ることが出来ましたが、やはりベストの瞬間は逃していました。

 
          つかの間見えた滋賀県側 上方は琵琶湖 
           左上の雲と雲の間は竹生(ちくぶ)島


 私たちの若い頃、若者たちはある種の通過儀礼のようにして山を目指しました。
 しかし現在、山は中高年の場になっています。10人の死亡者を出した先月の大雪山系の遭難事故でも、その犠牲者はやはり中高年に限られています。
 たぶんあの人たちは、若い頃山に遊んだ開放感が忘れられず、ツアーに応募したのでしょう。

 私にも山の想い出は結構あります。槍、常念、立山など、それぞれ青春の、幾分悔いを含んだようなそれでいて甘酸っぱい思いが去来します。
 もう無理は出来ない年齢ですが、この伊吹山なら機会があればもう一度、つまり4回目のチャレンジをしてもいいと思います。ただし今度はもっと天候に恵まれた時にです。

 

        三年ほど前琵琶湖側から撮した伊吹山 手前は竹生島

<想い出> 今から30年ほど前、子供たちと来たときです。戯れに紙飛行機を山頂で飛ばしました。どこまで飛ぶか山の下方に向けたつもりなのですが、それが折りからの上昇気流にあおられて大きな弧を描き、私たちの頭上を旋回しながらドンドン登ってゆきます。目を凝らして見ていたのですが、ついにはかすかな点になり、やがてそれも見えなくなってしまいました。
 あの紙飛行機は一体どこへ行ってしまったのでしょう。
 山道を駆け登ることが出来た私の若さ同様にどこか果てしないところへ行ってしまったようです。

<おまけ> 百人一首にもある歌から一首。

   かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
                            (藤原実方)

 これは掛詞や縁語を駆使したたいそう技巧的な恋歌なのですが、知ったかぶりをして解説などするとぼろが出そうなのでやめておきます。

 もうひとつは芭蕉の句です。

   そのままよ月もたのまし伊吹山   元禄二年秋

 どうもこれは芭蕉が伊吹山に登って作ったのではなく、『奥の細道』結びの地、大垣から見て詠んだようで、「伊吹山は月などを借りなくともそのままで美しい」という句意のようです。


コメント (5)
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