六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

風を「見る」 & モルモン教会の盆踊り

2009-08-12 18:04:20 | よしなしごと
 暦の上ではもう立秋だそうですが、
    秋来ぬと目にはさやかに見えねども
          風の音にぞおどろかねぬる
(藤原敏行)
 など引っ張ってくるのはやや早いかも知れませんね。
 今年は梅雨が長く居座ったこともあって、まだ夏らしい日が少ないのでなおさらです。
 暦の上だろうが何だろうが、「もう秋ですよ」なんていわれても、「あら、そうですか」とは素直にいいがたい感じがするのです。

 
       私んちの二階から見えるそよ風ぐらいの田圃

 それはともかく、上の歌の「風の音」ですが、「秋の風には独特の音があり、それがし始める」というのとは少し違うようですね。この「音」には英語でいうsoundよりもatmosphere、つまり雰囲気といった意味が込められているように思います。
 まあ、いずれにしてもまだ秋が来たという風の音は感じられないのが実感で、やっと本格的な夏がやってきたということでしょう。

 
          風でうねっているのが分かりますか?

 風の「音」ではないのですが、風を「見る」機会がありましたので写真に掲げました。私の部屋の窓辺から見える田圃です。
 一番上が普通の風景ですが、下のものは折りから通過した台風の余波で起こったウエーブの様相です。稲たちが海辺の波よろしくうねっているのが見えるでしょうか。風の方向や強さにしたがって、思わぬ方向から強弱とり混ぜて起こる波のうねりは、見ていて飽きません。
 今度はこちらだと思うと思わぬところに波紋が現れ、その裏切りが面白いのです。

 
         部分的には結構激しく波打っています

 見ていて、ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(2006)という映画を思い出しました。
 そして、穂波町というところに住んでいて闘病中の友人のことも・・・。

 夕方、近くのモルモン教会のちょっとした広場から、「炭坑節」が聞こえはじめました。この町内の自治会の盆踊り大会です。この町内では、それを開催するに適した広場がないため、毎年、モルモン教会の広場を借りて行っているのです。
 かくして、死者を迎えその霊を慰める仏教の催しであった盆踊りが、モルモン教会の庭で行われるという何とも微笑ましい光景が展開されるのです。

 
    私んちの二階から見える盆踊りの会場 右の建物がモルモン教会

 私の家とは直線距離で数十メートル、二階の窓からは踊りに興じる人たちがよく見えます。
 やかましいと言えばやかましく、BGMにしてはいささか音量は大きいのですが、人々の娯楽に水を差すこともありません。夏の風物としてやり過ごしています。
 でも最近は、クレーマーが多くてこの種の行事もやりにくくなっているようですね。

 
             会場へ行ってみました

 ところで最近の盆踊り歌ですが、「炭坑節」の他はほとんど知らない歌です。
 昔は岐阜ですと、「郡上節」、「木曽節」、新しいところでは「岐阜音頭」や「鵜飼音頭」などローカルなものに、全国区の「炭坑節」、首都に礼をつくして「東京音頭」といったところでしたが、それらは一掃され、「炭坑節」のみが残っているようです。そしてそれを、炭坑の実態を知らない子供や若者たちが踊っているのです。
 その他は「ビューティフル・サンディ」などのポップス調のものが鳴っていました。リズムの激しいものでないと受けないのでしょうか。
 各町内持ち回りで行っていますから、この町内は今夜が最後でしょう。

 
           やぐらと背後のモルモン教会

 梅雨が長かっただけに、今年の夏は凝縮された暑さが襲うのではないかと思います。
 折角の好天にもかかわらず。昨年の熱中症の経験からして、自転車は利用しにくいのが現状です。

<追記>毎年この時期、各メディアが過ぐる戦争についての特集を行いないます。
    風化しそうな記憶をとどめるという意味でいいことだと思います。
    私はそれらが一段落したあとで何かを載せようと思っています。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする