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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ものみな実る季節にあって、私たちは・・・

2009-08-24 15:06:19 | 写真とおしゃべり
 昨日、残暑の話を書いたばかりなのに、なんと無節操な私は今日はもう秋の話を書くのであります。
 以下の写真は、マイ・ヘイバリット・プレイスである岐阜県立図書館の庭にある植物の実たちです。いずれも、8月23日に撮影しました。


 太平洋高気圧がどれほど夏を主張しようが、季節は秋へとそのシフトを変えつつあります。
 人間がそれを感じるはるか前に、動植物はそれに感応しているのです。
 もちろん人間も、ある種の記号として与えられた季節の変動には反応します。

 
     まずは南京ハゼの実 外皮が褐色になると白い実が顔を出します

 しかし、動植物に与えられるその記号は人間が感応するものより、より微細で緻密であり、それによって人間が五感でそれを感じるより遙かに先行してそれらに反応しています。
 それが証拠に、人間がタンクトップの短パンで往来しているときに、植物たちは確実に秋の実りを用意しているのです。時間の推移を不連続に迎える私たちは、あるとき、「え?もうこんななの」と気づくのですが、植物たちは遙か前から微細な兆候を見逃すことなく、確実に季節の推移を読み込んでいるのです。

 
      モクレンの実です あの白い花からこんな実が出来るなんて

 そうなのです。この間まで花だった植物たちは、それを実や種へと文字通り結実しているのです。
 これは、毎年行われる反復でありながら、年々歳々変化があり、それが植物たちの歴史を彩ります。

 
       エゴノキの実 花はスズランのような白い可愛いものです

 人間様は、こうした季節感という自然性のようなものを次第に失ってしまっているかのようです。冷暖房などの装備によりそれを越えることが出来るという尊大さがそうさせているのかもしれません。
 そのかわり、日々移りゆく社会情勢の変化やそれに伴う損益や得失に反応します。ようするに、自然的な欲求の変化ではなく、日々拡大し続ける欲望の動向に反応するのです。経済的情勢やそれに左右される利害得失への反応は人間の世界に複雑怪奇な様相を醸し出します。

    
     色づきはじめたハナミズキの実 秋が深まると鮮やかな真紅に
 
 しかし、それらは、人間が自然を克服し、それと関わりなく生存できることを決して意味してはいません。今のところ人間の生き様は、自分たちの欲望の発露が自分たちの生存条件を脅かしている(戦争、経済破綻、自然破壊etc)のに対し、それらを修復しながら新しいあり方を模索しているというのが実情ではないでしょうか。
 もっとも中には、戦争や環境破壊をも自分たちの欲望のための手段としているような輩も存在してはいるのですが・・・。

 
             夏ツバキ、別名沙羅双樹の実です

 植物は、次代へと受け渡すべきものを確実に用意しているのですが、私たち人間は次代に何を残すのでしょうか。難儀な人間の難儀な生き様は、おのれ自信に問いかけながらそれを決めて行くしかないのでしょうね。
 
 たかが植物の実、されどそれは、私たちに反省を促す確実な反復と、にもかかわらず、長いスパーンでの植物の歴史に開かれてあるようです。



コメント
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