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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

がらくたフェチのネズミの話

2009-08-02 01:15:59 | よしなしごと
 しばらく前に、身辺の整理が出来なくて仕事もままならないと愚痴をこぼしました。それではだめだと、かろうじて机とパソコンの周りを多少整理を致しました。
 何でこんなに整理整頓が出来ないのだろうとつらつら反省しますに、やはり、不要なものをたくさん抱え込みすぎているのだと思います。ようするに捨てることができないのです。

 本のたぐいはつまらないものでもなかなか捨てられません。それにいわゆる「積ん読」があります。しかしこれは、一時の急速な増加に比べるとやや落ち着いています。それは、図書館を極力利用するようになったからです。
 それでもやはり多少は買いますし、年の功で「贈呈」なんていうありがたいものもあって増えることはあっても減ることはありません。

 
 
 しかし、私の場合、問題は本ではありません。本以外の、人様が見たらがらくたにしか過ぎないものを捨てることが出来ないのです。
 もう古くなってほとんど(というより、絶対)使うことがない鞄類、やはりもう度が合わなくなって使っていない眼鏡のフレーム、もう見ないに決まっているビデオのケース、この前まで使っていた小銭入れ、使わなくなってしまった腕時計、などなどなどなど・・・・・・ざっと見渡しただけで、こんなに要らないものが目に付くのです。

 しかし、極めつけはいわゆるパッケージ類でしょう。
 バレンタイン・デーにもらった小じゃれたチョコレートの箱、パソコンの付属品が入っていたこぎれいな箱、お菓子が入っていたカンカン、ボールペンが入っていたベルベット状の内張りがしてある小箱、デザインがまあまあであったり丈夫そうだったりする手提げ袋、それに書籍や文書が送られてくるパッケージと封筒、ラッピングに使われていた色とりどりの紙、それに付いていたリボン、紐のたぐい・・・・・ああ、書いているだけでいやになりそうです。これではまるで、なんでもかでも巣穴に引き込んでいるネズミではありませんか。

 

 しかし、なぜ捨てられないのでしょうか。がらくたフェチなのでしょうか。
 ひとつには、戦中戦後のとにかくものというものがなかった時代にものごころがついた(ここんとこ洒落ではありません)せいだからでしょうか。その後遺症ということもあるかもしれませんね。
 いくらテレビが「消費は美徳だ」と「美味しい生活」をがなり立てても、その手にはのるもんかとがらくたを抱え込んでしまうのです。

 ひょっとして、「価値」に関して波長が合っていないのかも知れません。
 私の抱え込んだがらくたは、一般的に言う「価値=交換価値」から見ればなんの意味もない、かえってその始末に費用を要するようなものばかりです。ですから、「価値のないものは捨てろ」という命令がどこかから聞こえます。

 

 しかし、「待てよ」という声が私の中で起きるのです。でもこれはこんなにきれいではないか、まだまだ丈夫じゃないか、それにこれだけのものを作るのにどれほどの人たちの手を要したのかも考えるべきではないか、などという反論めいた声がそれです。
 ようするにそれらは、そこそこきれいであったり、また、使おうとすれば使えるのです。現に、上に述べたがらくたのうち、書類入れなどに利用しているものも多少はありますし、今後も何かに使えそうだという期待のもとに捨てないでいるのです。
 でも正直にいえば、実際に使われているものはごく少ないというのが厳然たる事実なのです。

 また、これを作るのに要した人たちの労働を考えるという点ではどうでしょうか。何かヒューマンな感じがしますが、実際には、分業化され抽象化された労働の中で、これを作った人たちは自分が何を作っているのかさえ知らずに作られたものかも知れません。
 やはり、単なるがらくたフェチや捨てられない症候群なのでしょうね。

 思い切って捨てることもあるのです。そんなとき、ひょっとして後悔するのではという後ろ髪を引かれる思いで決断するのですが、にもかかわらず実際には後悔したことは一度もないのです。
 こんなことを延々と書いているのは、今度こそ思い切ってバッサリ捨てようとする決意をおのれにみなぎらせるためなのです。

 

 書きながらこんなことを思い出しました。
 私がサラリーマンになったのはまだ戦後20年が経過せず、朝鮮戦争による景気の好転に拍車をかけられた戦後の復興に続き、その後の高度成長段階に入りつつある頃でした。
 一般にデフレ傾向の時はお金を持ち、インフレ傾向の時はものを持った方が強いといわれています。私が担当していたある小型繊維機械の老舗ディーラーは、それを実践して戦後、大儲けをした人でした。彼は、地方を飛び回り、戦中戦後の混乱で稼働していなかったり、戦災に遭って操業不能な工場などの機械類を買いあさりました。そしてそれらのマシな部分をくっつけた商品を組み立て、残りはパーツとして売りました。
 焼け跡からほじくり出してきたような品物でしたが、とにかくものがない時代でしたから飛ぶように売れたのです。売れた金でまた買いあさり、彼の在庫はドンドン膨れあがりました。それがまた、あそこへ行けばなんでもあるぞという評判となり、物資の少ない時代の顧客を呼び込んでいったのです。
 
 1960年代後半(昭和40年代前半)に至って、その老舗が突如、倒産しました。
 各債権者が自分の債権確保のため一斉に動きました。倒産するくらいですから現金や預金はありません。あとは豊富なその在庫があるのみです。
 しかしああ、それらの在庫は、戦後の技術革新の波の中で全部が全部といっていいほどもはや需要のない、ようするに市場で交換される価値のないがらくたと化していたのでした。

    
 

 私が命を終えたあと、私の遺品を整理するものたちは、あのときの債権者と同じ嘆息をもらすのでしょうね。こんながらくたばかりを残して・・・。

 そのうちに整理しますよ。しますとも。
 でもそれらに囲まれていると変に落ち着く自分がいることも確かなのです。
 やはり私は、がらくたフェチのネズミなのでしょうか。

コメント (4)
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