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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

老人たちの柳ヶ瀬ブルース

2009-06-24 03:44:42 | よしなしごと
写真は過日、養老公園で撮したもの。内容とは関係ありません。


 高校時代からの友人二人と飲んだ。
 15歳からの付き合いだから、もう半世紀以上、具体的には55年の間柄である。
 よく飽きないものだ。

 夕刻少し前に集まり、まずは長良川の支流、武芸川を見下ろす高台にある武芸川温泉に繰り出して汗を流す。ここは初めてだが、結構いい湯で気持ちが良い。
 風呂から上がって駐車場に向かうと、周りの緑が目に優しく、その緑の奧から爽やかな鶯の鳴き声が湧き出るように響き渡る。

  

 岐阜の街へとって返して柳ヶ瀬で飲む。
 私たちが出会った頃のあの繁華な面影はもはや失われてしまった街だが、しかしやはり、「柳ヶ瀬で飲もう」が何となく合い言葉になる。
 県産酒の名前を冠した老舗の居酒屋に入る。
 
 友人の一人はリタイアしたサラリーマンだが、この春、連れ合いを癌で亡くして元気がない。
 「余命1年といわれて5年もったのだから儲けもんではないか」
 というのは慰めたことになるのであろうか。
 「連れ合いを先に亡くした男やもめの平均寿命は2年ぐらいらしい」と彼。
 「それはないだろう」といいつつも、その逆のケース、つまり女性が残った場合の方がはるかにその寿命が長いことを、彼も含めて私たちは知っている。
 だから変な慰めは言わない。ただ彼の言葉を聞くのみだ。

  

 もう一人の友人は自営業で、今なお現役で頑張っている。
 後継者はいない。老舗ではあるが、彼の代で店じまいをするほかない。
 だからそのタイミングをいろいろ推し量っているのだろう。
 「頑張れるだけ頑張るったって、自分がボロボロになってからでは遅いぞ」
 というのがほかの二人の意見。
 実際のところ、こうして集まるのも彼の仕事上のスケジュールを縫うようにしてなのだ。

      

 「で、お前は?」と二人からの問い。
 「あ、俺はなるようになる派だから特に問題はない」と私。
 「お前はずるい」と二人。
 確かにそうかも知れないが、この際は笑って誤魔化すしかない。
 実際のところ、自分に与えられたものを甘受するつもりなのだ。

 こんな一身上の話に終始したわけではない。
 それこそ天下国家から、徳山ダムについて、あるいは最近の風俗からTVのくだらなさに至るまで、話題の広がりは尽きない。
 惜しむらくはそれらに余り一貫性がないことだ。
 しかし、一方、少年の頃から抱き続けてきたある種の批判精神のようなものは、けっこう健在である。

  

 三人ともかなり以前からの顔なじみであるスナックに移動して、また飲みかつ話す。
 各務ヶ原へ帰る友人の終電車の時刻まで飲む。
 私は彼とともに岐阜駅まで歩き、そこから自転車で帰宅。
 家に着いたら、日付が変わっていた。
 お互い、古稀を過ぎたというのに午前様とは無茶なじじいたちだ。
 次回また、ということだから、こんなパターンがまだ続きそうだ。
 続けられる間は続けばいいのではないか。


コメント (2)
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