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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

続・「寿限無の南天」物語

2009-06-10 02:31:16 | 想い出を掘り起こす
 前回に書ききれなかった話の続きです。 

 二代目「フー」の最後が凄惨だったのでしばらくは犬を飼う気力も失せていたのですが、当時やっていた店の顧客に勧められて、今度は生まれたばかりの子犬から飼うことにしました。

 その客がもってきたモルモットほどの彼をボロ切れを敷き詰めた段ボールの箱に入れて助手席に置き、うちへ連れて帰りました。
 深夜の名岐国道は夜間運送のトラックなど交通量も多く、油断は許されません。ところがこの仔犬君、実に甘えん坊で、頼りない動きで段ボールの縁を乗り越え、私の膝へとやって来るのです。その都度、段ボールへと帰すのですがまたやってきます。ビュンビュンと高速トラックが走る中この作業はとても危険なものでした。

  
         まだ精悍だった頃の寿限無(1980年代中頃)
         寿限無の写真はすべて当時の写真のスキャン


 なんとか家まで着いたのですがそれからも大変でした。終生、彼は甘えん坊でそのくせやんちゃでありました。
 名前を決める家族会議が開かれました。その色合いからして、「三代目フー」は除外されました。様々な案が出ました。私はそのどれにも賛成できないまま、家長権限(?)で却下しました。
 私の主張は一貫しています。一万匹の犬がいたとして、そこでうちの犬の名を呼んだ時、彼のみがやって来るような名前にしろというです。

 しばらくして、愚息が「寿限無ではどう?」と提案しました。やっと落語を聴き始めたのでしょうか。名前と寿限無が反応したようです。
 私は即座に賛成しました。ただし本名は、あくまでも
 「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」
 であること、略称として「寿限無」であるという条件付きでです。

  
     どこかの子犬にさせたい様にさせてやっている大人の寿限無

 かくして命名は終わり、彼は「寿限無」と呼ばれ、さらに省略されて「ジュゲ」と呼ばれたのですが、どう呼ばれようと甘えん坊の彼ははせ参じるのでした。
 彼との歴史は語りますまい。それから癌に侵されなくなるまでの11年間、彼は家族でありました。

 あんなに元気であった彼がぐったりしているので、はじめて獣医というところを訪れました。消化器系の癌で、ヘルニア、尿毒症を併発していてもはや講じるべき手段はないとのことでした。そして数日後、仕事の関係で深夜帰宅した私に残されていたメモで、寿限無の死を知りました。来た時と同じように段ボールの箱に入った彼は、玄関の土間にひっそりと静まっていました。
 かつて、私の車のエンジン音を敏感に聞き分けて、あんなにもはしゃいで私を出迎えてくれた彼がです。

  
     なくなる5ヶ月前の寿限無 もうすっかり老犬(1991年)

 私は土間から彼を引き上げ、その傍らに座って彼のお通夜をしました。
 その頃のナイトキャップはウィスキーでしたから、水割りのセットを用意し、彼の傍らで飲みました。まもなく東の空が白んできました。

 翌日、市の火葬場へ連れて行きました。私ども立ち会いの下に焼かれるものと早とちりした私は、葬儀にふさわしく幾分地味な服装で出かけました。
 「あ、犬ですか? それじゃあそこへ置いて。この書類に記入して下さい。手数料は○○円です」
 それだけです。どうも、その日の分が溜まってから一緒に焼くようで、仕事の都合でとても立ち会うことはできません。何度も何度も振り返りながらその場をあとにしました。
 おかげで、段ボールにはいって出会った彼とは、やはり段ボールに入ったままで別れることとなりました。

 あ、そうそう、南天の話でしたね。
 寿限無が逝ってからしばらくして、彼が好んで寝ていた日陰で風通しのいいところに小さな緑を見つけました。
 南天でした。輪廻転生の考えは私たちにある程度しみついているのでしょうか。私は即座に、「寿限無の南天だ」と思いました。

      
            寿限無の南天のいまの全貌

 しばらくして、陽当たりのいい場所に植え替えました。今ではそれが2メートルを超える高さです。しかもそれは、我が家には一本もなかった白南天でした。
 この木に花が咲き、実がなるたびに、いいや、この木に水をやるたびに寿限無を思い出します。
 散歩に連れて行ってもこちらのいうことをなかなかきかないわがままな犬でした。広いところでは放してやるのですが、なかなか帰ってきません。
 しかし、そのくせ甘えん坊で、こちらが帰る素振りをすると慌ててどこからかすっ飛んできます。
 可愛い奴でした。

 寿限無と歩いた散歩道などを撮した写真集を作りました。各種の写真展に入賞しているセミプロに見せたら、技術的にはともかく私の思い入れが溢れていて感動したといってくれました。
 
 それ以後20年近く、生き物は飼っていません。もう飼うこともないでしょう。
 「親父の柳南天」と「寿限無の南天」は今年も揃って花を付けました。
 小さな地味な花ですが、よく見るとその中にも色彩の変化があって可愛い花です。







コメント (3)
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