桑の実についていえば、一番ポピュラーなのが童謡「赤とんぼ」の2番の歌詞だろうと思います。
♪山の畑の 桑の実を
♪小かごに摘んだは まぼろしか
この歌詞は誰でも知っていますよね。
ところで、実際の桑の実を見た人はどれぐらいいるでしょうか。
「小かごに摘む」というのは食用にするためですが、どれだけの人が食べたことがあるのでしょう。
とりわけ、都会にしか住んだことのない人にはほとんど馴染みがないのではないでしょうか。寡聞にして桑の実が店頭などに並んだという話も聞いたことがありません。
私んちの桑の木です。切るのに忍びないと育てたらこんな大木に
敗戦前後の一時期、疎開暮らしのまましばらく田舎に居ついた私にとっては、桑の実は野いちごやグミの実ともども貴重なおやつでした。
しかしそれ以前に、桑は労働の対象でもあったのです。
というのは疎開先の母の実家はお蚕さんを飼っていて、その最盛期には新鮮な桑の葉を何度も何度も供給しなければならなかったからです。私たち子供も、その運搬に動員されました
蚕の食欲はまことに旺盛で、それを飼っている中二階からは、蚕が桑を食す音が「しゃがしゃがしゃが」とはっきり聞こえました。それは同時に、次々と桑の葉を供給しなければならないことを意味していました。
こんなにたわわに実を付けました
農家では蚕のことを「お」を付け「さん」を付け、「お蚕さん」と呼んでいました。蚕が育ち、立派な繭を作り、それを買い付けに来る仲買人に評価され買い上げられると、当時としては貴重な現金収入となったのです。それをもたらす蚕は、単に昆虫の幼虫期ではなかったのです。もちろんこれは、この地区だけのことではありませんでした。
明治初年には、絹は日本の主たる輸出品であり外貨の稼ぎ頭だったのです。
ただし、私がそこにいた敗戦前後の時期は、チャラチャラした贅沢品の禁止令もあって絹の需要もあまりなかったようで、お蚕さんの御利益がどの程度あったのかはよく分かりません。
こんなこともあって、桑との関連は今なお私の中で尾を引いています。もちろん、桑の実もです。
黒いのが甘くて美味しいのです
20年ほど前、私の家の片隅に、膝までぐらいの桑がどこかからやって来て自生しているのを見つけました。邪魔なところに、と引っこ抜こうかとも思いました。それをとどめたのはおやつに桑の実を食べた往時の記憶でした。
以来、桑の木は大木になり、今ではたわわに実を付けるようになりました。
白色から緑、赤、紫、そして真っ黒になるとその実は甘く切ない香りがします。
今年は桜ん坊が不作だったのに反し、桑の実は豊作です。
もう三度、娘の勤める学童保育のおやつに持ってゆきました。
おそらく子供たちにとっては初めての味わいです。
世の中には多様なものがあり、多様な味わいを与えてくれる、それを分かってくれればいいなと思います。同時に、「赤とんぼ」の歌詞をなにがしか実感できればいいと思います。
ちょっとおしゃれにカルフォルニア産ののシャルドネと一緒に
ムクドリがしょっちゅう来ています。私が実を採りに出ると彼らがギャギャギャッとまるで強奪者が来たかのように非難し、鳴き叫びます。これをここまで育てたのが私だということが分かっていないのです。実に横着な連中です。
冒頭に掲げた歌詞
♪山の畑の 桑の実を
♪小かごに摘んだは まぼろしか
に見られるかつての日本の原風景のような情景も、本当に「まぼろし」になってしまったかのようですね。
かつて桑を栽培していた名残でしょうか、川岸などにぽつんと桑の木があると私にはすぐそれと分かります。
私にとっては、戦中戦後の思い出とシンクロした木なのです。
♪山の畑の 桑の実を
♪小かごに摘んだは まぼろしか
この歌詞は誰でも知っていますよね。
ところで、実際の桑の実を見た人はどれぐらいいるでしょうか。
「小かごに摘む」というのは食用にするためですが、どれだけの人が食べたことがあるのでしょう。
とりわけ、都会にしか住んだことのない人にはほとんど馴染みがないのではないでしょうか。寡聞にして桑の実が店頭などに並んだという話も聞いたことがありません。
私んちの桑の木です。切るのに忍びないと育てたらこんな大木に
敗戦前後の一時期、疎開暮らしのまましばらく田舎に居ついた私にとっては、桑の実は野いちごやグミの実ともども貴重なおやつでした。
しかしそれ以前に、桑は労働の対象でもあったのです。
というのは疎開先の母の実家はお蚕さんを飼っていて、その最盛期には新鮮な桑の葉を何度も何度も供給しなければならなかったからです。私たち子供も、その運搬に動員されました
蚕の食欲はまことに旺盛で、それを飼っている中二階からは、蚕が桑を食す音が「しゃがしゃがしゃが」とはっきり聞こえました。それは同時に、次々と桑の葉を供給しなければならないことを意味していました。
こんなにたわわに実を付けました
農家では蚕のことを「お」を付け「さん」を付け、「お蚕さん」と呼んでいました。蚕が育ち、立派な繭を作り、それを買い付けに来る仲買人に評価され買い上げられると、当時としては貴重な現金収入となったのです。それをもたらす蚕は、単に昆虫の幼虫期ではなかったのです。もちろんこれは、この地区だけのことではありませんでした。
明治初年には、絹は日本の主たる輸出品であり外貨の稼ぎ頭だったのです。
ただし、私がそこにいた敗戦前後の時期は、チャラチャラした贅沢品の禁止令もあって絹の需要もあまりなかったようで、お蚕さんの御利益がどの程度あったのかはよく分かりません。
こんなこともあって、桑との関連は今なお私の中で尾を引いています。もちろん、桑の実もです。
黒いのが甘くて美味しいのです
20年ほど前、私の家の片隅に、膝までぐらいの桑がどこかからやって来て自生しているのを見つけました。邪魔なところに、と引っこ抜こうかとも思いました。それをとどめたのはおやつに桑の実を食べた往時の記憶でした。
以来、桑の木は大木になり、今ではたわわに実を付けるようになりました。
白色から緑、赤、紫、そして真っ黒になるとその実は甘く切ない香りがします。
今年は桜ん坊が不作だったのに反し、桑の実は豊作です。
もう三度、娘の勤める学童保育のおやつに持ってゆきました。
おそらく子供たちにとっては初めての味わいです。
世の中には多様なものがあり、多様な味わいを与えてくれる、それを分かってくれればいいなと思います。同時に、「赤とんぼ」の歌詞をなにがしか実感できればいいと思います。
ちょっとおしゃれにカルフォルニア産ののシャルドネと一緒に
ムクドリがしょっちゅう来ています。私が実を採りに出ると彼らがギャギャギャッとまるで強奪者が来たかのように非難し、鳴き叫びます。これをここまで育てたのが私だということが分かっていないのです。実に横着な連中です。
冒頭に掲げた歌詞
♪山の畑の 桑の実を
♪小かごに摘んだは まぼろしか
に見られるかつての日本の原風景のような情景も、本当に「まぼろし」になってしまったかのようですね。
かつて桑を栽培していた名残でしょうか、川岸などにぽつんと桑の木があると私にはすぐそれと分かります。
私にとっては、戦中戦後の思い出とシンクロした木なのです。