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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

モーツアルトと機関銃

2007-08-21 02:09:39 | 想い出を掘り起こす
 1991年8月21日、私の乗った飛行機は、モスクワ空港の滑走路の上にいた。
 モスクワ郊外の森と湖、それに農地のモザイクのような光景を眼下にしながら、ここへ降り立ったのだった。

 その機はチューリッヒ行きであったが、ここで2時間ほどトランジットがあり、空港内ではあるが降りることが出来ることになっていた
 私にとっては始めての海外旅行で、従って始めて踏む他国の地であった。
 養父のシベリア抑留経験、若い頃からの私の社会主義とのさまざまな因縁などを含めて、その地に足跡を記すのは何か運命的にも思われた

 
 
 しかも、当時、何かと話題の渦中にあったソ連である。
 つい先日も、クーデターがあり、黒海地方に夏期休暇に出かけたゴルバチョフが反動派に幽閉されたというニュースが世界を駆けめぐったが、エリツィンなどの工作により一応の収束を見たことまでは成田で確認済みであった。

 さあ、降りるぞ!それっ、売店だ、ウオッカだ、と私の気ははやるのだった。
 ああ、それなのに、期待は無惨にも裏切られた。
 機内アナウンスがあり、ソ連当局から、機外へでる許可が下りないので、そのまま座席にて出航をお待ち下さいとのこと。

 そういわれて、仕方なく窓の限られた視界から外に目をやると、やはり何やら不穏な空気がみなぎっているではないか。
 機関銃とおぼしきものを装備した装甲車や、完全武装した兵士たちが要所要所を固めているのだ。それらの兵士が、時折、機に接近してきて様子を窺ったりする。
 もはや気分はウオッカではない。ここはやはり、争乱のまっただ中なのだ。

 
 
 遠くに目をやると、すらりと伸びた白樺の並木が見渡せるのだが、それをバックに武装した兵士たちが行き交うのはやはり異様だ。
 機内に緊張感が漂う。みなひそひそと言葉を交わすのみだ。

 やがて機は、予定より30分早く離陸した。
 離陸と同時に緊張が緩み、ホッとしたものが感じられた。
 さっきまで、あれほどこの地に足跡をと思っていたのに、全く皮肉なものである。

 これはあとで知ったのだが、この日、黒海付近に幽閉されていたゴルバチョフが、モスクワへ帰るためこの空港へ降りるというので、空港全体が厳戒態勢のうちにあったのだ。

 私はその折りの自分の軽薄さと、そして、にもかかわらず、その後の天国のような10日間の旅をいささか後ろめたく思い起こす。
 そう、私は、チューリッヒで乗り換えてオーストリアへ入り、モーツアルト没後200年祭に沸くウィーンとザルツブルグで、昼は散策、夜はコンサートやオペラという至福の時間を過ごしたのだった

 

 何という落差であろう。機関銃とモーツアルトは似合わない(そういえば、『セーラー服と機関銃』という映画があった)。

 私が音楽を楽しんでいる間も、ソ連の崩壊はもはや留まるところを知らず、その年の暮れには、クレムリンから赤旗が降ろされ、ソビエト連邦そのものが消滅した

 昨20日の夜8時、NHK・BSハイビジョンは、「エリツィンとゴルバチョフ~ソ連邦崩壊・当事者が語る激動の記録」と題した2時間のドキュメンタリーをやっていた。
 それを観ながら、その現場をかすめたこと、そしてその後の至福の時間を思い出し、改めて自責の念やら、訳の分からない胸キュンなどを感じたのであった。

 

 時の流れは速い。4年ほど前、機会があってハンガリーへ行ったのだが、社会主義のの字も見あたらず、若い人達は1956年の対ソ動乱や、当時の指導者、イムレ・ナジについても知るところはなかった。

 8月21日は、私が世界史をかすめた日である。それとも、世界史が・・

コメント
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